小学校低学年のクラス、それもやんちゃな男の子数人のクラスで、たまたまいじめの話になりました。きっかけはけいちゃん(小3)の次の話です。
*友だちがいやなことを言ってきた。我慢したけどしつこいから頭に来て、相手の手を痛くして泣かせてしまった。そこを先生に見られてしまい、泣かしたけいちゃんの方が先生に怒られた。
このことをけいちゃんは、「僕はいじめをしたから、怒られたんだ」と言ったのです。
え??それっていじめっていうの?ちょっと待って、それはおかしいんじゃない?ということから、いじめの話になりました。いろいろ話すうちにこれはケンカじゃないか?という話になりました。
「どちらか一方がやるのが、いじめ」
「一人をたくさんで、やっつけるのがいじめ」などと子どもが言いました。
たぶん、最近の事情から、小さなケンカさえも、「いじめだ」と子どもたちも過剰に考えてしまっている節があります。いいケンカは大事なのに。大人も子どももいじめを意識しすぎて、いいケンカまでなくなったらと、危惧します。いいケンカとは、人間関係を学ぶために必要なものだと、考えています。
いろいろ話すうちに、「じゃあ、どうやったらいじめがなくなると思う?」と、尋ねました。一番やんちゃな子に、聞いてみたら、
「悪い言葉はいわないとか、イジワルなことをしない」
「なるほど、そうだね。ところで○○君、きみはできるの?」
聞くと
「できない!」だって。
それじゃ、意味ないんだよね。○○君はお母さんから聞くところによると、クラスでもやんちゃな子。頭もいいしスポーツもできるし、話もしっかりしているので、クラスでもリーダー格。それが悪く出ることも多多あるそうなのです。
そのことを毎度聞いていたので、わざわざ○○君に聞いてみたわけです。彼は優等生だから、それは立派な意見を言うのはお見通し。でも、自分ではできないことも、自分で分かっています。
立派な意見、誰でも分かっていること、そうしたらいいという理想。でも、それじゃ現実のいじめはなくならない。理想は理想に過ぎないことを、子どもの方がより分かっている。つまりいじめの問題が出る度に、大人が理想を言い聞かせたところで、何も変わらないという現実を、彼は見事に教えてくれています。
「じゃあ、どうしたらいい?」
「うーーん」とみんな頭を抱えている。
「でもね、今、けいちゃん(別の子)が言ったことに、ヒントがあるでしょ?」
と言って、けいちゃんの話をもう一度私が、話しました。この話の中にヒントがあると、私は思っているのですが。
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