カテゴリー「心と体」の17件の記事

2009.05.15

★ワークショップに参加しませんか?

★★「ネガティブパターンを、解放するワーク」★★

(大人向けワークショップ)

☆ひととのコミュニケーションの中で、失敗したなとか、言いたいことが言えないとか、言い過ぎてしまったとか、そんなことはありませんか?

それは子どもの頃の親子関係などに、起因していることがあります。

自分の感情や行動のパターンを知って、楽しいコミュニケーションを目指しましょう。

相手を思いやりながらも、自分の気持ちはきちんと伝えられたら、とても素敵です。

ワークとしては、簡単なメモ程度を書くだけですので、

でも気軽に参加してください。

 

 

講師 東海林ふみさん

開催日 5月25日(月)

時間 11時~14時

☆お昼休憩ありお昼をご持参くだい。

参加費 500円

場所 新松戸七丁目 もと新松戸北小学校 

門を入って左側の校舎1階「子育て☆ひろば」内

 

お問い合わせ・申し込み先 NPO法人ねばぁらんど 

子育て親育ちひろば わくわくたまご

047-394-2800

☆一時保育(要事前予約)もできますヨ。 

            お申し込み時にあわせてお申し出ください。

 

(松戸市の助成金をいただいて行う事業です)

      

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2009.04.28

★お絵かきセラピーの隠れたパワー

お友達のヒーラーさん(?)から、アートセラピーを受けました。(←クリックしてみてね。私の音楽ブログに記事を書きました)

そして昨日はさっそく、ぶんぶんの授業でもやってみました。まあ、完璧ではありませんが、少しでもニュアンスを感じとっていただければ幸いです。さくちゃん、ゲンちゃんどうだったかなぁ?

目的は、「出す」ということ。身体のゴミもウンチとして出すように、心のゴミも出すのがいいのです。(これはセラピーを受けた私の言葉で書いています)。心のゴミは、寂しさ、悔しさ、哀しさ、怒りなどのマイナスの感情です。いわゆるストレスとなっているものなども。でも、それが具体的に言葉になったり、何であるか意識できなくてもいいんだと、私は感じました。なかなかネガティブなものって言葉にしにくいですよね。最終的には言葉にしてほしいとは思っていますが(作文、書いてるんだもん♪)

今回私の体験では、いらないゴミを出してすっきり♪ だけではなかったのです。すっきりすると自分本来のパワーが出てくるということを感じました。つまり前に進みたいと思っていても、マイナスのゴミがマイナスエネルギーとなって、後ろに引っ張ってしまう。そこでそれを失くせば、思う存分前に進める。前のエネルギー100パーセントになれる。と感じました。見学のつもりが、いっぱいいっぱい気づきや、吸収するものがありましたよ^^

絵は、何を書こうと決めて描くというよりも、手の赴くままに描いていきます。二枚描きます。何を描いたからダメということもないし、何を描いたら心の状態が悪いとか、そういうことは一切ありません。

また、他のクラスでもやってみますね。

絵で表すことで、言葉にすることの大切さもまた、違った視点から見えてくるかもしれません。

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2009.01.08

★無財の七施

無財の七施(松戸市小金・東漸寺にて撮影)

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

新春から、亀の歩みですみません。ことしもずっと亀なのでしょうか?いえ、今年は亀からすこーし成長できそうです。いつも亀でご迷惑をかけているので、今年は兎かな?だって、昼寝できるからね(ダメじゃん、結局亀に負けたのだからね)

そうそう、今年は丑年ですね。私、年女なんですよ。36歳かぁ(←数字は嘘)ということで、牛歩で行きましょう。牛ですから、時に怒ると走ります。

ところで、今日ご近所を歩いていたら、東漸寺さんの門の前に、ありがたい言葉がありました。いつも拝見するのですが、今回はまたちょうど、いろいろと反省していたところに、正にその通りの言葉だったので、こうして写真を撮ってきました。

見えるでしょうか?無財の七施(しちせ)とありました。

教室で子どもたちに挨拶をするとき、何か作業をしていたりして、顔も見ずに「こんにちは」と挨拶していたことがあったなと反省し、昨日から始まった授業にて、ちゃんと目を見て挨拶を始めたところでした。

温かい眼差し。温かい笑顔。愛ある言葉。尽くすこと。慈愛。いつでも席を空け。迎える心。。。ちょっと頭に入るように、自分流に言葉を直してみました。できることはやり尽くすこともできていないし、慈しむことも足りていません。初心に戻りこんな気持ちで、子どもたちや、支えてくださる保護者の方、その他全ての方と接することができたらと思いました。

東漸寺さんといえば、敷地にある「てらす」(寺巣?)というサロンのような場所で、歌を歌わせていただいたこともあります。木々に囲まれた静かなサロンでした。これからも気づきをいただき続けたいと思います。

皆様、ことしもよろしくお願い致します。

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2008.12.13

★SОSをありがとう

嬉しいことがありました。

進路に関連して、どうしても文章を書かなければならないことがありますよね。今、そんな時を迎えたAちゃんが、ぶんぶんのことを思い出し、訪ねてきてくれることになりました。子ども自身が困ったときに、思い出してもらえるなんて、とってもうれいし^^そして、ちゃんと連絡をしてくださったお母様にも感謝です。ありがとうございます。

彼女は以前、5年ぐらい前だったでしょうか。夏休みの特別講座などに何度か通ってくれたことがありました。彼女のご兄弟も来ていたので良く知っています。

上手にとか、立派にとか、付け焼刃的なことを教えても何もならない。それだけのことなら、何も私が彼女と一緒にやらなくてもいい。でも、きっと彼女は、自分の思いがあって、でもそれが上手く言葉にならない、何をどうかいていいやら分からない。上手に書く技術を知りたいのではない。そんなことが、お母様とお話していて分かりました。

今彼女に何がしてあげられるか。それはいつも同じことです。寄り添うだけ。引き出すだけ。5年もたてば彼女もだいぶ成長しています。きっと今、自分が迷子になっている。きちんと意思はあるけれど心が迷子。心の奥に必ずあるから、それを一緒に探して迎えにいけたらと思います。

彼女の例とは違いますが、以前にも似たようなことがありました。小学生でしたが、受験作文を見てほしい。それもほんとにギリギリの時期でした。時間がないので技術的なことをやりましたが、結局何も身につかない、しみこまない。やっているほうも辛いけど、本人はもっと辛かったでしょう。

その子は、自分の思いさえ、もう分からない状態でした。受験勉強で疲れていたのでしょう。だからものなんて書けるわけがない。そうでなくてもふだんから書くことは苦手。だからまずそこから解きほぐしてから、自分の感情を取り戻してから、楽になってから、作文に向かえばよかったなあと思います。

ぶんぶんに来て書くことが辛いままに終わるなんて、そんなの自分で自分が情けない。ぶんぶん教室の意味がないです。受験のためとはいえ、全く正反対のことをしてしまったわけです。苦い思い出。書くことは一生です。今は新しい場で頑張っているね、きっと。10年ぐらい前の話でした。

付け焼刃は大人には効いても、子どもにとって意味がない。さらにもっと深いところでコミュニケーションをとった上で、子どもが自分を見つめた上で、技術はぐーんと効いてくるはずです。

さて、楽しみ♪

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2007.07.06

★一学期最後のアトリエ

アトリエ新松戸でのお話。

一学期最後の国語の授業がありました。そこで、ぶんぶんでときどき使っているイソップ物語、「アリとキリギリス」の授業をやってみました。アトリエの受験生とこういったぶんぶん流の作文の授業をやったのは初めてです(受験小論文ではない授業という意味です)

いつものようにみんなでわいわい意見を言っていたら、他のクラスの先生に「静かにしてください」と二回も注意を受けてしまいました。ごめんなさい。しかしそれだけみんなたくさん話したというわけです。

中身はさておき、「さぁ、書こう」と予告なしで言ったら、「かけない」とみんなの返事。なぜなら、「たくさんの考えが出てきてしまって、何をどう書いたらいいか分からない」「最初の自分の考え以外のものもあって、書きにくい」とのこと。

この言葉を聞いて、わーい!大成功!と心の中で思いました。そう、まさに視点を広げる、読み方は無限にあるということを、彼らはちょっぴり体験してくれたようです。

でも、だからその中で「今日はこの切り口で書こう」「明日はまた意見が違ってもいい」ということで、短い時間でしたが書いてもらいました。なんだかんだ言っても、視点が決まると、さっと書いていたのは流石です!アトリエの生徒諸君。

中には「人は人、でも自分は自分だから意見は変えたくない」という人もいました。それでいいんです。「ただ、いろんな考えがある」と頭で思っているのとは、違います。実際にいろんな見方を聞いたり、自分もしてみたことが、大事です。

そこから自分も刺激を受けて、もっと視野が広がり、自分の意見にも深みが増すかも知れませんから。それこそが「人の意見を聞く」とうことです。人の意見を聞くというのは、「意見に従う」ではありません。聞いてその人の考え方やよさを感じ、自分の糧にしていくということです。ただ、耳で聞くのではなく、心で聞くというのかな。そういう訓練を、いろんな場面でしていってほしいと思っています。

自分の考えのある人は、心も柔軟な人だと思うのです。

余談。これを毎週やってるぶんぶんの子供たちは、えらい!いつも頭の中を私にごちゃごちゃにさせられ、それでも必死に書いているんだから。きっと見えないところで、視野や考えた広がっていると、確信を得ることができて、一石二鳥です。

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2007.01.21

★いじめをなくす方法

小学校低学年のクラス、それもやんちゃな男の子数人のクラスで、たまたまいじめの話になりました。きっかけはけいちゃん(小3)の次の話です。

*友だちがいやなことを言ってきた。我慢したけどしつこいから頭に来て、相手の手を痛くして泣かせてしまった。そこを先生に見られてしまい、泣かしたけいちゃんの方が先生に怒られた。

このことをけいちゃんは、「僕はいじめをしたから、怒られたんだ」と言ったのです。

え??それっていじめっていうの?ちょっと待って、それはおかしいんじゃない?ということから、いじめの話になりました。いろいろ話すうちにこれはケンカじゃないか?という話になりました。

「どちらか一方がやるのが、いじめ」

「一人をたくさんで、やっつけるのがいじめ」などと子どもが言いました。 たぶん、最近の事情から、小さなケンカさえも、「いじめだ」と子どもたちも過剰に考えてしまっている節があります。いいケンカは大事なのに。大人も子どももいじめを意識しすぎて、いいケンカまでなくなったらと、危惧します。いいケンカとは、人間関係を学ぶために必要なものだと、考えています。

いろいろ話すうちに、「じゃあ、どうやったらいじめがなくなると思う?」と、尋ねました。一番やんちゃな子に、聞いてみたら、

「悪い言葉はいわないとか、イジワルなことをしない」

「なるほど、そうだね。ところで○○君、きみはできるの?」

聞くと

「できない!」だって。

それじゃ、意味ないんだよね。○○君はお母さんから聞くところによると、クラスでもやんちゃな子。頭もいいしスポーツもできるし、話もしっかりしているので、クラスでもリーダー格。それが悪く出ることも多多あるそうなのです。

そのことを毎度聞いていたので、わざわざ○○君に聞いてみたわけです。彼は優等生だから、それは立派な意見を言うのはお見通し。でも、自分ではできないことも、自分で分かっています。

立派な意見、誰でも分かっていること、そうしたらいいという理想。でも、それじゃ現実のいじめはなくならない。理想は理想に過ぎないことを、子どもの方がより分かっている。つまりいじめの問題が出る度に、大人が理想を言い聞かせたところで、何も変わらないという現実を、彼は見事に教えてくれています。

「じゃあ、どうしたらいい?」

「うーーん」とみんな頭を抱えている。

「でもね、今、けいちゃん(別の子)が言ったことに、ヒントがあるでしょ?」

と言って、けいちゃんの話をもう一度私が、話しました。この話の中にヒントがあると、私は思っているのですが。

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2006.03.02

★ルールということ

尾崎豊のDVDを見ました。泣きながら見ました。口ずさみながら、見ました。踊りながら見ました。

映像の中の彼の言葉は、どれも凄い。今日残った心に残ったのは、ルールについてです。

「ルールというものの中で、人を傷つけるだけの方向に向いているルールは、良くない(守らなくていい)ルール。守るべきルールは、愛に向いているかどうかだ」(細かい表現違ってます)」

こんなことを、20歳ですっきりと言葉にして言えてしまうことが、すごいなと思います。本当に何かの代弁者であり、表現者だったんですね。今は亡き尾崎豊が、映像の中では、今も輝いていました。

ところで、同じようなことを、ボーイフレンドのぎいちゃんも、いつも言ってます。ぎいちゃんというのは、松戸市在住の、70歳過ぎのお友達。元市議さんで、保育園の理事長さんなどをやっています。彼はいつも言います。

「ルールは、今生きている人に合わせて、変えるべきものだ」と。決まりだから、できませんじゃなくて、可能にするために、ルールを変えればいいのだと。まさしく!

「決まりですから」と、何か自分の大事なものを拒否されても、あきらめないで。「今、人を救うことのできるルール」に変えていけばいい。

それは尾崎の言う、「愛のルール」です。

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2005.02.13

★いい加減・・・良い加減

ウチの娘は保育所に馴染まず、一年間朝は泣きつづけました。
オマケに月に二回は39度近い熱。結局いつも月に半分は風ひきの
子供でした。あるとき風が元で入院することになりました。
クリスマス,正月と市立病院で入院。わたしは泊り込みましたよ。
2歳ですからね。

わたしは当時フリーライターだったのですが、昔からの憧れの
新聞社でバイトではあったけど、記事書いてたの。その仕事が
ほんの何ヶ月かでダメになりました。
そして娘が退院してから2かげつだったか
保育所の席がなくならない範囲での一番長い休みを取りました。

子供もわたしも二ヶ月のんびり休みました。
それからまた娘も元気に保育所に行くようになりました。
相変わらず風邪っぴきでしたし、泣いたりしてたけど。

娘は1歳半から保育所に行きましたが、この2歳の時の休みは
きっと親子共に必要だったのだと思います。何を取り戻したのか
分かりませんが、まあ、おかげて今の自分もあるわけですしね。

それから保育所も学童も止めることなくずっとお世話になりました。
シャイですが人と関わるのは大好きな子です。
このときムリしてたら、続かなかったかもしれないし、もっと彼女に負担をかけたかもしれません。
娘もこの春中3。受験生です。(あら、娘は成長したのに私は何故か若いわ~~)

だから人生なにがどう作用するか分からないということで。
確かに仕事休んでしまって、会社がクビになったら大変です。だから働く母は大変なのです。だから児童福祉課頑張れ、なのですが、だけど頑張り過ぎないことも必要かなと思うのです。

いろんな力の抜き方ができる社会を、わたしも創りたいと思います。

わたし「真面目」なのね。でも「真面目」って恐い面もあると
つくづく思います。いろんな子供を教室で見ていて思います。
今は何もないようだけど、大人になって真面目な子はとても
大変だと思っています。

生きるのが辛い大人、精神の病んでいる大人多いです。みんな共通するのは「真面目」です。真面目病?あら、いいネーミング!

だからこの社会を、もっともっといい意味でのいい加減な世の中にしたいのです。うん。
だからまず自分からいい加減に生きるのだよん


いい加減・・・良い加減。


☆この記事は、いつもお世話になっている「ねばぁらんど掲示板」の江村さんへのお返事として書いたものを、
ここに載せました。ブログさぼっていた言い訳ではありません。

いい加減な生き方をちょっと最近「真面目に」実践中なんだもん♪

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2005.01.26

★エロスを武器に!

久しぶりの登場です。
何してたのかというお叱り、いえ励ましをきよりんから頂きました。ありがとうね~~。
まあ、文豪はたまに書けなくなることもあるのは、昔から変わらないのだ。うわ~~誰が文豪だよ。

書きたいことはいろいろあるのだけど、どこまでここで垂れ流し、いえ表現していいのか、というところで躊躇していたというのも、1センチくらい在るかな。

だから突然ですが、用意していた子供の作文やらを載せる前に、勢いで今思いついたこと書いていい?


わたしは思想的に中立だと思います。色は白です。赤でも青でもありません。
だけど、右と左どっちが「好き」ですか?と嗜好の問題を問われれば、もう絶対「右!」です
だけど、体制ですか、反体制ですか?と姿勢を問われれば、もう絶対「反体制!」です。

じゃ、いったいどっちなの?

新左翼では絶対ない、中ピ連(ちょっと好き)でもない、フェミニストでもない、神社はお参りする、現在の署名、運動は好まない(だから持って来ないでね)、でも今の社会システムは破壊したい、解放したい、されたい、見せたいものを見せるのは気持ちいい、「愛は共存する意志」だと教わった、、、

中2の娘は先日、バトルロワイヤルをクラスのみんなとした夢を見たんだって。
そのときの武器がね、なんと「ナベ」なんだって。みんな手にナベをもって叩きあってるんだって。ぷっ、笑えるね。でも凄いと思った。ナベで戦争したら楽しそう。頭にもナベかぶってさ。

で、考えた。

私はさしずめ「愛を武器に闘う破壊者」にでもなろうかな?
愛はエロスの方でしょ?


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2004.11.12

★「夢がない」まいちゃん

 昨日の続きです。ひとしきり夢の話が盛り上がったところで、ひとりまいちゃんが、心なしかしょんぼりしています。

 「わたし、夢がないの」

 「ふーん。そうかぁ。夢といっても、何かのお仕事じゃなくて、好きなこととか、あと、お母さんになってやってみたいこととか、ねこが好きとか、そんなのでもいいんだよ」

 「夢」というと、立派な仕事を言わなければいけないと、思ってる場合がある。そうなるとなかなかなかないのが,当たり前かもしれない。それよりもっと自分の好きなこと、それも趣味とか習い事とかのカテゴリに入らないものの方が、むしろ面白いと思うのだけどな。

 「でもない。一年生のころはあったけど」

 一年生の頃はお菓子屋さんになりたかったと言う。

 「そっか。じゃ、それでいいよ。だってね、それはまいちゃんの心が成長したからだよ。だから一年生のころの夢は、もう消えたの。そして少しお姉さんになった証拠だね」と言ったあと、こんな話をしました。

 ぶんぶんちゃんのお友だちにはね。40歳になってから、会社の社長さんになったひともいるよ。(あなたのことだってば)そのひとは、みんなのお母さんと同じで、子どももいるひとだよ。それから40歳になって、お坊さんになったひともいるんだよ。

 夢はいつからでも始められるって、言ったよね。だからいますぐなくてもいいの。そのうち見つかるよ。だから焦らなくていいよ。いまは自分の好きなことは何かって、考えるといいね。

 そんな話をしたら元気になって、作文を書いていました。

 (一年の時の夢と、今はないことと、今日お友だちと遊んで楽しかったことを書きました。彼女は今、大勢で何かすることが好きなんだって!)

 
 夢はいつでも始められる。

 夢はいくつ持っても重たくない。

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