9月30日(木)、松戸の裁判所にて、元PTA会長の裁判が結審した。私は友人と傍聴に行った。
「懲役1年、執行猶予3年」の判決が言い渡された。
裁判長が読み上げた主文のメモを頼りに、聞き取れた部分をここに紹介したい。多少のことばの違いがあるのは、お許しいただきたい。
「被告人は、PTA会合の際、窃盗2件をはたらいた。十分が収入があるにも関わらず、家計管理の甘さから・・・情状酌量の余地なし。
・・・会合では参加者が歓談に夢中になっている時に、・・・現金を抜き取るという大胆な犯行。・・・他6件の余罪を認めている。
PTAの会長、副会長として、模範となるべき立場が、そのPTAの席で、行ったことは軽視できない。・・・平成13年、平成16年の窃盗・・・
窃盗前歴2件。前科なし。本人は反省している。お金を返す意志もある等から、懲役1年、執行猶予3年の判決を言い渡す」
こんな感じでした。
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今後PTAをどうしたらいいのか、私の考えは前にも書いたが、まず一つは、遡って会計(帳簿では分からない)について、当時関わった方々から、聞き取り調査をするのが、いいと思う。陰で無念な思いの方もいらっしゃる。
小さい額でも、バザーのお金がなくなったりした事実を、会員は知らされてない事実があるのだし(判決の中の窃盗2件とは別件です)、私たちは会費を払っているのだから、明朗な会計を知る権利も、自由もあるはずだ。
しかしその前にもっと大事なのは、私たちPTA一人ひとりが、このことをどう捉えるかだ。
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臨時総会で、とても具体的な意見をおっしゃっていた方に偶然、裁判の帰りに会った。総会で発言されただけでも、とても立派だし、勇気のある方だと思う。彼女は言った。
「もう、忘れましょう」
私は何だか戸惑った。何と答えていいか分からなかった。でも、一つ分かるのは、私たちの「親力」が問われているということ。それは親の「民度」と言い換えてもいいのだろうか。
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会長などの役員を選ぶ仕組みとして、「推薦委員」というのがある。これも現在、透明性のないものの一つだ。臨時総会であるお母さんから、指摘があった。
「無関心」を装っていても、今回のような人物を、会長に選んでしまったのは、紛れもない私たち会員一人ひとりである。その何百分の一の責任は、小さいようだが、とても重い。
その重みをどれだけか・ん・じ・ら・れ・る・か。
感性の問題でもある。
そしてそれは、今を共に生き、未来を生きる子どもたちに、確実に伝染してゆくものであることを、子どもに寄り添うものの一人として、私は言いたい。
「事件のことはこのまま伏せて、何事もなかったように、PTA活動を一生懸命続けていくことが、子どもたちのためである」という考え方がある。
総会でも力説していた方がいた。学校側の考えもそんな感じだ。
しかしそれが本当に、子どもたちのためであろうか。本当にそんなことを、教育者としての校長、教頭、先生たちは、信じているのだろうか。
「事件のことを子どもに伝えるかどうか」よりも、今重要なのは、悪いことは悪いと「かんじるちから」を、子どもたちに、どう伝えていくかの方が、重要だ。事件を、そうした「素敵な教育の場」にだって、いくらでもできる。
そのためにもいま、「親力」が試されている気がしてならない。
「親力」とは、親の「かんじるちから」、感性であると、はっきり言おう。
少なくとも私は、鈍い親になりたくなし、我が子を「悪を見抜く感性」の、鈍いひとにしたくないだけだ。
学校側の論理を押し付けられる「総会」でなく、まずは、親が自由に話し合える場が、ほしい。
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