カテゴリー「ニュース」の9件の記事

2008.08.20

★ていぱーく・サマーフェスティバルに来てね!

テイパーク夏休みイベント来てね!

 すっかりご無沙汰していて、すみません。友だちからは、「ながーい夏休みだねぇ」と冷やかされました。

さて、おとといから、大手町のテイパーク(逓信総合博物館)で、イベントをやっています。

「自由研究体験ランド」ですよ!そこで、ことば遊びのコーナーを担当しています。工作コーナーなどいろいろあります。ここにくれば、今からでも自由研究が間にあうかも~!

今日は、朝日小学生新聞の記者さんも、取材に来てくれました^-^

ぶんぶん担当の「ことば遊びコーナー」は、親子で参加できるワークショップです。俳句を作ったり、探検ビンゴをしたりして遊びます。クイズなどで優勝すると、すてきなプレゼントもありますよ。

19日(火)から29日(金)まで。25日(月)は休館です。お待ちしています。

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2007.02.21

☆子育て見本市

子育て見本市

みなさん、先日の松戸市の広報、ご覧になりましたか?

「子育て見本市」というイベントが、25日(日)、ふれあい22(健康福祉会館)で開催されます。

「子育てに関係する市内の情報、相談、遊び」などに関することが、ここに行けば一気に手に入る、というイベントだそうです。

実は・・・表には出ませんが、秘密の情報を二つばかり、ここで暴露いたします。いつもぶんぶんの落とし穴を読んで下さっている、奇特・・・いえ、貴重な方々だけに、こっそりね^^

まず、一つ目。主催するのは、市内の子育てに関する民間団体と、市が一緒になって行うイベントで、松戸では初めての試み。それの何がすごいって、同じ子育てを担う団体でも、いつもは仲が悪かったり・・・いえ、テリトリーがあったりするらしいんです。でも、その人たちが、「一緒にやる」っていうところが、実はすごいんです。

だいたい、「民間と公が一緒に主催してる」というのが、あまりないこと、民間と公の情報が一気にそろうことも、全国的に見ても滅多にないんだって。え?そんなこと?って、私たちお母さんの立場では思うけど、そんなこともできていなくらい、世の中って遅れているんですよね。見えない壁が立ちはだかっている・・・とでも言いましょうか。今回は壁に一つ大きな穴が空いた!と言えますね。

さて二つめ。それは午後1時からの「子育てトーク」。みんなでワイワイ井戸端会議をしましょう、という企画ですが、実は、この司会が「ぶんぶんちゃん」なんです!!!

これだけで分かる方は分かっていただけますね?ぶんぶん教室で子どもたちと鍛えたこの身体。いや、スピリットで、いい意味での「風通しのよい2時間」にしたいと思っています。まずは人が出会うことから。子育てに正解はないんです。

司会の権限で、参加者の方々に一つか二つ、お願い事をしようと思っています。ふふふ。きっと楽しいので、よかったらふらっと立ち寄ってくださいね。子育てに関わる方なら、誰でも参加できますよ~~。

市の偉い方や、お父さんお母さん、保育園、幼稚園、学童保育、NPOなどなど、いろんな立場の方がいらっしゃる予定です。

なお、主催メンバーであるNPО「ねばぁらんど」のホムペでも紹介されています。風穴空けるの大変だったかな?

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2005.01.16

★ネットが自殺者を救った!

ネットってこんなこともできるんですね。

チャット中に自殺図った女性、救出

先日、実は私がネット上で交流させていただいていた女性が、自殺してしまいました。
だから、このニュースは私にとって、光です。例え助かった人が「死にたかったのに」
と言ったとしても、いつか「生きててよかった」と思う日が来ると思うから。そして思えるように
生きなきゃいけないと思うから。だからあえてこのブログでも紹介しました。

どんなに生きるのが辛くても、死にたくなっても、本当は「生きたい」といってるように
思えるから。そんな声に敏感でありたいと思うから。

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2004.12.27

地震!お~い大丈夫?

インドネシアで地震がありました。
ぶんぶんちゃんのお友達ののりりんは「マレーシア」という国のクアラルンプールに住んでいます。

お~い! のりりん、大丈夫?


インドネシアのスマトラ島沖で巨大地震、津波で9200人死亡(12月27日Sankei Web)

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2004.10.03

★PTA会長の罪を・・・その4

 9月30日(木)、松戸の裁判所にて、元PTA会長の裁判が結審した。私は友人と傍聴に行った。

 「懲役1年、執行猶予3年」の判決が言い渡された。
 
 裁判長が読み上げた主文のメモを頼りに、聞き取れた部分をここに紹介したい。多少のことばの違いがあるのは、お許しいただきたい。

 「被告人は、PTA会合の際、窃盗2件をはたらいた。十分が収入があるにも関わらず、家計管理の甘さから・・・情状酌量の余地なし。

 ・・・会合では参加者が歓談に夢中になっている時に、・・・現金を抜き取るという大胆な犯行。・・・他6件の余罪を認めている。

 PTAの会長、副会長として、模範となるべき立場が、そのPTAの席で、行ったことは軽視できない。・・・平成13年、平成16年の窃盗・・・

 窃盗前歴2件。前科なし。本人は反省している。お金を返す意志もある等から、懲役1年、執行猶予3年の判決を言い渡す」

 こんな感じでした。

  ☆…☆…☆…☆…☆

 
 今後PTAをどうしたらいいのか、私の考えは前にも書いたが、まず一つは、遡って会計(帳簿では分からない)について、当時関わった方々から、聞き取り調査をするのが、いいと思う。陰で無念な思いの方もいらっしゃる。

 小さい額でも、バザーのお金がなくなったりした事実を、会員は知らされてない事実があるのだし(判決の中の窃盗2件とは別件です)、私たちは会費を払っているのだから、明朗な会計を知る権利も、自由もあるはずだ。

 しかしその前にもっと大事なのは、私たちPTA一人ひとりが、このことをどう捉えるかだ

   ☆…☆…☆…☆

 臨時総会で、とても具体的な意見をおっしゃっていた方に偶然、裁判の帰りに会った。総会で発言されただけでも、とても立派だし、勇気のある方だと思う。彼女は言った。

 「もう、忘れましょう」
 
 私は何だか戸惑った。何と答えていいか分からなかった。でも、一つ分かるのは、私たちの「親力」が問われているということ。それは親の「民度」と言い換えてもいいのだろうか。

 ☆…☆…☆…☆…☆


 会長などの役員を選ぶ仕組みとして、「推薦委員」というのがある。これも現在、透明性のないものの一つだ。臨時総会であるお母さんから、指摘があった。

 「無関心」を装っていても、今回のような人物を、会長に選んでしまったのは、紛れもない私たち会員一人ひとりである。その何百分の一の責任は、小さいようだが、とても重い。

 その重みをどれだけか・ん・じ・ら・れ・る・か
  
 感性の問題でもある

 そしてそれは、今を共に生き、未来を生きる子どもたちに、確実に伝染してゆくものであることを、子どもに寄り添うものの一人として、私は言いたい。

 「事件のことはこのまま伏せて、何事もなかったように、PTA活動を一生懸命続けていくことが、子どもたちのためである」という考え方がある。

 総会でも力説していた方がいた。学校側の考えもそんな感じだ。
 
 しかしそれが本当に、子どもたちのためであろうか。本当にそんなことを、教育者としての校長、教頭、先生たちは、信じているのだろうか。

 「事件のことを子どもに伝えるかどうか」よりも、今重要なのは、悪いことは悪いと「かんじるちから」を、子どもたちに、どう伝えていくかの方が、重要だ。事件を、そうした「素敵な教育の場」にだって、いくらでもできる。

 そのためにもいま、「親力」が試されている気がしてならない。
 「親力」とは、親の「かんじるちから」、感性であると、はっきり言おう。

 少なくとも私は、鈍い親になりたくなし、我が子を「悪を見抜く感性」の、鈍いひとにしたくないだけだ。


 学校側の論理を押し付けられる「総会」でなく、まずは、親が自由に話し合える場が、ほしい。 

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2004.09.26

★PTA会長の罪を・・・その3反省

 私の基本は、自分の身体を通して考えること。そしてできれば深いコミュニケーションしたいんです

 でも、この間のPTAの臨時総会では、この基本を忘れてました。反省.........._| ̄|○:で、この記事は自分のことだけを書きます。

 反省その1 相手のことを知ろう。コミュニケーションの基本は相手を知ることから。子どもには子どもに届くことばを。教頭には教頭に届くことばを。しかし、このイロハを忘れていました。

 なにも教頭と喧嘩したかったわけなじゃいのに。無責任だ!!とかって言ってしまった。これじゃ●組さんと一緒だよ。正直に思ったことを言ってしまった。「正直に思ったことをいいなさい」って、これが通じるのは学校だけだ。一般社会では通用しない。PTAは一般社会ですからね。 

 
 反省その2 もっと、相手の魂に向かって話し掛けるべきでした。その人の心に響くことばを言うべきでした

 私のしたかったのは、責めたり、意地張ったり、意地悪言ったり、期待したりではなく、平らなところでハダカで話したかった。ああいう場は無理なのか?? 目の前に相手がいるのに、私はうわべの教頭という部分を見ていた。本当は、もっともっと、お互いひとりの人間どうしとして、ハダカで話せたらよかった。もっと修行しよう!

 以上、ことばを教えている人間としての反省でした。私は誰かを責めたいのではない。反省させたのでもない。警察でも、検事でもない。

 もっと、魂と魂で話したいのだ。お互いの深い部分を信じて、触れ居たいのだ。そういう体験を体感してしまった者として。。。全て分かり合うなんてしょせん無理なのだ。を前提に。

 ミスチルも歌ってる。♪ひとつにならなくていいよ。認め合うことができればさ♪(「掌」より)感傷的でしたか。

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2004.09.24

★PTA会長の罪を・・・その2

 「私達のPTA活動は素晴らしいものであり、それには何の疑義なし」。  

 このような校長のことばから、PTAの臨時総会が始まりました。PTA会長の辞任を受け取った校長先生からの、ことばです。

 あるお母さんからの発言。

 「4年前に、バザーのお金4万円?がなくなりました。しかし当時の総会で、会計も会計監査からも、このことは全く報告されませんでした。このことはPTA会長の裁判では、報告がありませんでしたか?」

 「ありました」(教頭)

      *・・・*・・・*・・・*・・・・*・・・・*

 以上の、たったひとつの当日のやりとりからしても、私達PTAのお金が消えたこと。そして(どうして紛失したかは別にして)紛失した事実を、私達会員は知らされてないこと、が分かった。教頭は少なくとも知っていた。つまり校長の冒頭の挨拶も「ウソじゃん」ということになります。

 以上は総会での一こまです。{ことばの表現は違っていること、ご容赦ください)

 そしてこのお金を、責任を感じたある方(私も存じている方)が、自腹で補填したということを、別の機会に聞きました。

ですから、シネマさんがコメントでおっしゃるとおり、4年前にさかのぼって、会計の調査を行ってもらうことが必要です。調査委員会を作ってもらう必要もあります。その請求をみんなで提出することが、いいかもしれませんね

 元会長の罪は司法が裁く。私達はこれからのPTAをどうしていきたいのか、を考えていきたいものです。そのためにまず、実際どれだけのお金がなくなって、それを誰がどのように隠蔽してきたのか。まずそれが、知りたいです。知る権利も自由も会員にはあるのですから

 貴重なご意見ありがとう。シネマさんも陰で辛い思いをされたのですね。そういう気持ちを私は無視できません。

 一緒に考えましょう。私は詳しくないけど、きもちはある。だから、いいじゃない。私達にできることをしましょう。ね!じゃ、今度みんなでスーパー銭湯会議でも??
 
 

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2004.09.22

★PTA会長の罪をどう受け止める?

 うちの子が通う公立小学校はいま、小さな地震で揺れている。

 PTA会長が窃盗でつかまり、先日裁判が行われ、懲役一年の求刑があったそうだ。まだ裁判は続くらしい。私の友人が傍聴に行ってきたので、その日、数人の親を集めて、裁判の報告会があった。

 今回捕まったのは3月に、クラスだか学年だかの謝恩会で、隣の人のバッグから1万5千円を、盗んでしまったからだ。前歴もあるそうだ。

 余罪は他にもいくつかあったらしい。本人は被害届が出ているものは認めているが、そうでないものは一切、認めてないらしい。理由は生活費だという。サラ金?か何かに、何百万円の借金があった。

 聞いたのは、こんなところ。個人的なことは、私の興味ではない。

 このことを、PTAはどのように受け止めるのか。そこが大切だ。彼女のせいとばかりも言えないが、ここのところPTAはリベラルでなかった。お金に絡んだよくない噂もあるが、それはあくまで噂。何かと執行部が牛耳っているという印象で、その影で屈辱を受けた友人もいるのは、事実だ。

 影で何をやっているか分からないPTA。それは私の印象であるが、執行部が今回のことをどう受け止め、会員にどう説明し、今後をどうしていこうと思っているのか。会員はみなどう捕らえているのか。そこに興味がある。

 前向きにオープンに捉えるのならいい。そうではなく、「彼女の子どももいるから、そっとしておこう」と、傷を隠すように後ろ向きに、モノを言わないようにとらえるのか。

 罪に関しては司法に任せればよい。そうでなく私達PTAのことは別だ。もし後者であれば、それこそ学校に通う全ての子供たちにとって、悪いものを残すと思う。

 ぜひ、前者であることを望む。今回のことで、地域と学校と親とが、そして何よりPTA会員同士のきもちが、ひとつになることを。そのためには、執行部も会員も、言いたいことを出し合うしかないだろう。親のちからが問われている。

 そして、会員同士、リベラルなフラットな、風通しのよい関係の中で、彼女の子供たちも含めて、子どもたちを見守っていこうというきもちができれば、いい
。子どもたちに罪はないのだから。

 今から、PTAの臨時総会です。行ってきます。
 
(シネマさん間違いのご指摘ありがとう。訂正しました。前科でなく前歴)


 

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2004.06.06

★コトバは人を殺しもする

 長崎の小学生の事件について、考えている。今ごろになって新聞見たり、インターネットのニュース見たりして。私はいつも「子どものコトバによる自己表現」に関わっているので、無視できない事件だ。我が子も女児と同じ年頃だ。事件を捉える側面はたくさんある中で、コトバやコミュニケーションという視点で考えてみたいと思う。がしかし、何をどう考えていいのか、わからないでいる。

 事件を起こした女児について、私の気になる情報を整理してみたい。

・小5の頃の文集に、何か悩んでいるようなことが書かれている。
・自分のホームページでは、クラスの人たちについての悪口も過激に書いていた。
・小説家志望だった。
・バトルロワイアルという本(コミック?)が好きだった。
・ホームページのなかで、上記のストーリーを真似た小説を書いていた。被害者の女の子の名前を登場させていた。
・ホームページの掲示板で、被害者女子に、ぶりっこ、髪型がへんだと指摘されたり、また、学校で背中に乗ったときに「重い」と言われ、気にしていた。
・ナイフを首に押し付けるなどの、殺人シーンが出てくるテレビドラマを見て、殺人を決意した。

 彼女のホームページなどでの言葉遣いは、ちらっと見た限りだが、とても大人びて早熟である気がした。私が一番「どうして?」と疑問に思うのは、彼女は文章を書くことが好きだったという点だ。小説家志望であることや、ホームページで発信していることからも想像できる。そんな彼女が、なぜ自分を冷静に見ることができなかったのか??今は、彼女の書いた内容がどうだったかは、詳しくはわからない。単に、感情的で過激で攻撃的な内容だったのかどうか。
 
 文章を書くということは、本来、自分自身を探求し、知ることにつながると思っている。また、文章を読み直すことで、自分を客観的に見ることもできる。だからこそ私は、つたないながらも作文教室をやっているわけだ。ものごとを深く冷静に考えることができれば、殺人という犯してはならない「自己表現」を例え考えてみたとしても、実行するところまでの時間や空間の「間」の中で、冷静になることもできたと思う。

 なぜ、殺人を起こす前に、自身で冷静に深く考え直すことができなかったのか。これじゃ、作文の敗北じゃないか!!どんな文章を書いていたにせよ、彼女はコトバで自己表現をしていたのだ。たとえそれが、インターネット上であろうと、書いてる自分は「生身の自分」だ。ネットのこちら側とあちら側には、常に生身の人間がいるのだ。生身の人間として、自分の「内側」でどうして自分を引き止める「なにか」がなかったのか。むしろ文章で自分自身を過激なほうへと追い込んでいったのだろうか。

 彼女を殺人者に至らしめる前に、なぜ、彼女の「外側」にも、引き止めるものの「なにか」がなかったのか。それは周囲の人のさり気ない言葉だったりするのに。それどころか反対に、殺したいと思ったとき、そこで後押しするものが、いくつか重なってしまったという「間」「魔」の悪さがあったのかもしれない。

 私の作文の師・宮川俊彦氏はいつも、人の行動を全て表現としてとらえ、【作用・反作用】で考える。そう考えると、殺人を犯した彼女は、人を殺そうと思うほどの【作用】を、相手のコトバなどから過敏に感じ受け止めてしまい、その【反作用】として相手の命を奪ってしまったというのだろうか。

 コトバは人を殺しもする。折に触れ、教室の子どもたちに言っているコトバだ。今回はコトバをうけた受けたものが死んだのでなく、反対に人を殺してしまった。

 ちなみに、以下のニュースサイトは、関連記事をまとめてあって、とても見やすい。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/sasebo.html

 

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