★国語力を身体に刻む
たまには、アトリエ新松戸の話題など。
芸大・美大を目指す受験生のクラスを、この夏から受けもっています。今は、国語の授業と、自習の小論文を見ています。小論文では、テーマを出すだけでなく、文章を読んでから書くことを、先週やってみました。(感想文を書くのではありません)
結果は、出来上がった作文が予想どおり面白い!いえ期待以上かもしれません。ちなみに今回は、「中学生の教科書」(四谷ラウンド)の中の、「美術」という章から文章を読んでもらいました。内容をひと言でいうと、一番大事な表現は「死」についてだ。ということです。何年前でしょうか、神戸で起きた「サカキバラ事件」についても触れている文章です。
それにたいして、あなたはどんな表現が可能か、死についてでも違ってもいいから、あなたが美術をとおして表現したいことは何かを、テーマに書いてもらいました。
昨日生徒たちに文章を読んだ感想を聞くと「面白かった」ということです。私はその答えに満足でした。彼らの作文が面白かったのは、彼ら文章を深く読み、自分のこととして読み、考えたからでしょう。
受験国語で、過去問題をやっていると、ときどき不毛さを感じます。それは生徒たちも同じでしょう。やってもやっても、国語は何かが身についていく実感がない。それは過去問題をやったからといって、国語の力が身につく、とはいえないからです。テクニックを教えてくれといわれますが、それさえも問題を解くのに、どのくらい役に立つのか?1、2割程度でしょうか?
国語の実力をつけるには、読書とか知識はもちろん、普段からものを考えるとか、その方法としてものを書くとか、日常の体験など、何を感じているかとか、あらゆることが関係してくるからです。国語は文化そのもの、思考そのもの、感情そのものだからです。(正確には≒って感じですね)
だから、「学問に王道なし」の言葉どおりです。
それでも受験生の限られた時間の中で、少しでも何かを身につけ手欲しい。そんな中で、今回一番良かったのは、選んだ文章の内容だと思います。文章のテーマが、10代後半の彼らに、ぴったりだったのです。
人はその年齢ごとに必ず向き合う人生のテーマがあります。哲学的な意味でです。ようするに彼らが今潜在的にであれ、ぶつかっている問題であるかどうか。文章が易しいとか難しいではなく、内容に興味をもって深く考え書くことで、本当の国語力が身につくと思っています。
今流行の技術論程度のことは、彼らは身についている、というのが私の実感です。あとは実践が足りないだけ。本当に身体も頭も使って自分の問題としてとらえて書くという体験が不足なんです。
だけど、書きなさいといったところで書かない。そこで彼らが少しでも萌える(笑)ような話題やテーマを、「熱を」提供していく。甘いかもしれませんが、それが導くもののできることかなと思います。
彼らにとっても、この小論文の学習が、身体に残っていく実感があればいいな。国語の力は頭だけでなく、身体にも残っていく。頭だけだと不毛さや不安が付きまとうのです。
きっとデッサンも一緒ですよね?理屈がわかっていても、手で身体で目で確かめていくことが大切です。歌も一緒なんです;;;自分の身体で心で確かめていく。国語、言葉も一緒です^^
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コメント
中学の国語を教える難しさを先生がたが感じています。テキストが難しいともいえるけど、考えることをしなくなった子供たち(考えるチャンスを与えて居ない現状)の変化が一番、あとは英語の先生が国語も、という違和感もあるみたい。
そんな先生方にこのこと伝えてみます。
国語というよりも、当に普段の過ごし方や、文章との付き合い方みたいなこと、考えたらいいのかもと思って。
投稿: きょん | 2006.10.17 23:33
きょんちゃん
分りにくい、一番伝わりにくいところかもしれませんね。でも、マニュアル時代に、マニュアルでは伝わらないところが、かけているのだと思います。
ぜひぜひ!
私は教室での子どもとの対話(やりとり)も
ぶんぶんの売りであり、役割だと思っています。
作文を書いているときだけではけしてなくて。
それを「こうしなさい」と一方的に決めるのでなく、
子どもに考えさせせて決めさせる、ケンカでも
何でも。そうすることが、まさに目の前の自分の
問題を自分で解決する力になる。もちろん言葉を
介して。それが作文につながるし、作文教育でも
あると思うんですよ、最近とくに。。。
きょんちゃんも、きっとそうでしょうねぇ^^
投稿: ぶんぶん | 2006.10.22 13:27