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2006年10月

2006.10.30

☆フリマ・ライブ中止

今頃、こんなこと書いても、全然意味がないのですけれど・・・

29日(日)のフリマ、そしてライブは、(朝方の)雨のため、中止となりました。イワサキ師匠!中止を知らずに、駆けつけて下さったそうで、本当にごめんなさい。本来ここで、お知らせするべきでしたのに・・・でも、ありがとう^^

大いに反省いたしました。

なお、今月のパタータ・セッションは、主催者の都合により、11月10日(第二金曜)に、変更となりました。 よろしくお願いします♪

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2006.10.27

★よろしくなかった!

「カフェオレ一つで、よろしかったでしょうか?」

25日の記事について、きょんちゃんコメントありがとう^^今の決断について聞いてくれればよかったのに、というのは全くそのとおり!と思いました。何がおかしいのか?

私は文法学者でも国語学者でもないので、専門的なことはそういうプロに任せるとして、その違和感は何かを考えてみました。

いつか歌友ミッチーに聞かれて、電車の中で答えたんだけど、それが自分でも気に入っているので、思い出してみます。

「・・でよろしいですか?」と聞かれれば、違っていたら訂正できる。いえ、「○○はひとづでお願いします」とかってね。時制が現在形とでもいうのかな?

「・・・でよろしかったでしょうか」は、私の感覚では、もう起こってしまった過去について聞いているように思える。時制が過去。だから、違っていても今更訂正できない。「昨日のあの発言は、あれでよかったの?」ということです。だめだったら、「今後気をつけます」って感じで。

だからお店の注文で、「よろしかったでしょうか?」と聞かれるとムッとするんだ!いかにも訂正が聞くようなフリして聞いているけど、聞き方は「違っていても訂正できないよ」という、圧力を感じているわけだからね。

だから相手の立場にたってみれば、これは丁寧なコトバではなくて、「威圧的なコトバ」のような気がします。ただ、若い人はそう感じないみたいです。なぜならこれが普通だからなのかな?

言葉は世につれ変わるものでもあるけれど・・わたしのような世代のおばさま方までが、これを丁寧だと感じるのは、どうなのかな?

さて、こんなんで「よろしかったでしょうか」

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2006.10.25

☆ライブの時間

フリマ・ライブのお知らせです。

わたくし「高一点」の出番は、12時から12時半頃です。

よかったら来てね!でも、何を歌うか・・・

★★★29日(日) 10時から14時まで(ライブの開催時間)★★★

★★新松戸中央公園、フリーマーケット開場内です★★

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2006.10.23

★・・で、よろしかったでしょうか?

「国語審議会が、敬語の使い方の指針を出す」らしい・・・

今、ニュースを見ていたら、やっていました。今さら?という気もするけれど、確かに私の周りの若い人(歌友)からも、尋ねられたことがあります。ニュースによると、分らない人が4割いるそうです。

2月に指針をまとめるそうですが、それまで一般から、意見を募集するのだそうです。面白そう!ぶんぶんでも、子どもたちと検討してみよう!

ま、敬語もそうですが、今耳障りな言葉は、レストランなどでの「○○でよろしかったでしょうか?」ですね。よろしかったかどうか、知りませんって言いたくなるよ。

これ、歌友のじゅんちゃん(myギターの先生)とミッチー(ストリートの相棒)にも、聞かれたネタです。さて、この言葉の文法的間違いは?

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★つかまえた虹

つかまえた虹

先日の 子供たちとつかまえた虹でーす

なみちゃんの手だよ

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2006.10.18

★円の書き方

『ブッタとシッタカブッタ」という漫画があります。登場人物はみんな、ブタさんたち。シッタカブッタという主人公のブタが、ブッタ様から教えを請うという漫画です。こんなのがありました。

ブッタ「円を書きなさい」

シッタカブッタ「はい」といって、筆で円を書くが・・・

シッタカブッタ「上手く書けません」と、円の書きかたをブッタ様に、尋ねる。するとするとブッタ様はこう言った。

ブッタ「私は、円を書きなさいと説くことはできる。しかし、円の書き方を説くことはできない。それは身を持って知りなさい」

つまり、誰にでも通用するような円の書き方などない。それは自分が苦労して何度も挑戦し、身体でつかめということなのだろう。

ちょうどこれを読んだ日。高校生ウン百人を前に、○○字のレポートの書き方を、教えて欲しい、という話がありました。それも1時間で、というのです。いったい1時間で何を教えるんだろう?

そして、最後に思い至ったのは、「自分で苦しんで書きなさい」でした。そんな時ブッタを読んだら、このお話がでていたので、「これは偶然ではない、ブッタ様のお導き!」と強く思ってしまったのです。

効率やマニュアルも必要な時代だからこそ、反対に、悩み、苦しみ、迷う時間も、それ以上に必要であるかもしれませんね。

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2006.10.17

★国語力を身体に刻む

たまには、アトリエ新松戸の話題など。

芸大・美大を目指す受験生のクラスを、この夏から受けもっています。今は、国語の授業と、自習の小論文を見ています。小論文では、テーマを出すだけでなく、文章を読んでから書くことを、先週やってみました。(感想文を書くのではありません)

結果は、出来上がった作文が予想どおり面白い!いえ期待以上かもしれません。ちなみに今回は、「中学生の教科書」(四谷ラウンド)の中の、「美術」という章から文章を読んでもらいました。内容をひと言でいうと、一番大事な表現は「死」についてだ。ということです。何年前でしょうか、神戸で起きた「サカキバラ事件」についても触れている文章です。

それにたいして、あなたはどんな表現が可能か、死についてでも違ってもいいから、あなたが美術をとおして表現したいことは何かを、テーマに書いてもらいました。

昨日生徒たちに文章を読んだ感想を聞くと「面白かった」ということです。私はその答えに満足でした。彼らの作文が面白かったのは、彼ら文章を深く読み、自分のこととして読み、考えたからでしょう。

受験国語で、過去問題をやっていると、ときどき不毛さを感じます。それは生徒たちも同じでしょう。やってもやっても、国語は何かが身についていく実感がない。それは過去問題をやったからといって、国語の力が身につく、とはいえないからです。テクニックを教えてくれといわれますが、それさえも問題を解くのに、どのくらい役に立つのか?1、2割程度でしょうか?

国語の実力をつけるには、読書とか知識はもちろん、普段からものを考えるとか、その方法としてものを書くとか、日常の体験など、何を感じているかとか、あらゆることが関係してくるからです。国語は文化そのもの、思考そのもの、感情そのものだからです。(正確には≒って感じですね)

だから、「学問に王道なし」の言葉どおりです。

それでも受験生の限られた時間の中で、少しでも何かを身につけ手欲しい。そんな中で、今回一番良かったのは、選んだ文章の内容だと思います。文章のテーマが、10代後半の彼らに、ぴったりだったのです。

人はその年齢ごとに必ず向き合う人生のテーマがあります。哲学的な意味でです。ようするに彼らが今潜在的にであれ、ぶつかっている問題であるかどうか。文章が易しいとか難しいではなく、内容に興味をもって深く考え書くことで、本当の国語力が身につくと思っています。

今流行の技術論程度のことは、彼らは身についている、というのが私の実感です。あとは実践が足りないだけ。本当に身体も頭も使って自分の問題としてとらえて書くという体験が不足なんです。

だけど、書きなさいといったところで書かない。そこで彼らが少しでも萌える(笑)ような話題やテーマを、「熱を」提供していく。甘いかもしれませんが、それが導くもののできることかなと思います。

彼らにとっても、この小論文の学習が、身体に残っていく実感があればいいな。国語の力は頭だけでなく、身体にも残っていく。頭だけだと不毛さや不安が付きまとうのです。

きっとデッサンも一緒ですよね?理屈がわかっていても、手で身体で目で確かめていくことが大切です。歌も一緒なんです;;;自分の身体で心で確かめていく。国語、言葉も一緒です^^

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2006.10.15

☆秋のフリマ・ライヴ

はい、また歌います。

今月29日(日)は、新松戸中央公園恒例、秋のフリーマーケットです。そこで今回もステージイベントがあります。

新松戸在住の学生バンド「ファング」が、企画しています。いろんなバンドが歌いに来るみたいです。「わかもの」ばっかりだと思うよーー。仕方ないから、「ばかもの」で出ようっと \(≧∀≦)/イェーィ

★29日(日)午前10時半~午後2時(ぐらい)

場所は新松戸中央公園です

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2006.10.14

★違う考え

「自分とは違う考えだったから」

みずき(小5)ちゃんは、その詩を選んだ理由を、そう言いました。今日は、ぶんぶんチャンの大好きな谷川俊太郎の詩の絵本「いちねんせい」の中から、それぞれ好きな詩を選んでもらいました。

絵本の題名どおり、一年生でも読めるようなひらがなの詩が載っています。さらっと全部読んでから、好きな詩を一つ選びます。

それから意味を感じ取って朗読の練習、そしてみんなの前で朗読、それぞれの感想を言い合い、最後にはその詩の好きなところ、朗読の感想などを作文に書きました。声に出すことで、詩のリズムや息遣いや、意味までも深く感じることができたように、思います。それぞれ選んだのは、

みほ・・・「わるくち」

ゆか・・・「かみ」

まいこ・・・「はえとヘリコプター」

りさ・・・「ぱん」

みつき・・・「あな」

そして、みずき・・・「なまえ」

それぞれ、このように好きな詩を選びました。全員みごとに、とっても自分らしい詩を選んだなと、それだけでまず感心しました。「ぱっと選ぶ」能力って、とても大切です。自分の感性を積み上げて、自分の判断に自信がもてるようになります。また、自分で選んだのだから、その結果を人のせいにしない、責任をもったり、受け入れたりできるようになる、とも思うのです。(ちょっと横道にずれました)

元にもどって、そんな中でみずきちゃんだけは、最後まで迷っていました。そして選んだ詩は、みずきちゃんらしい感じに欠けるような気がしたのです。そこで選んだ理由を聞いてみたところ、冒頭の発言の「自分の考えとは違うから」でした。

これ、凄い!自分と違うものって、排除したり避けたりしがちです。分らないから。だけど彼女は、違うものが面白いと思って選んだのです。違いを面白がれる感性は、他人や異文化を受け入れ、自分をどんどん広げていける、大事な感性だと思います。

みずきちゃんは元々、とても柔軟でのびやかな人ですが、それにはこんな秘密があったんだね。自分とは違うひと、違う国、違う考え、、、どんどん面白がろう!

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2006.10.13

★おまわりさんに聞く!

「おまわりさんに、聞けばいい!」

さっそうと手を挙げたコウキ(小2)が、得意げにそう言いました。教室は大爆笑!いや、一番笑ったのは私です。教室の床をたたいて、笑ってしまいました。ごめん。。。

少し前のことですが、授業で「道案内」の作文をやった時です。駅から学校までの地図を見て、的確に道案内をするというもの。

方向や、指示の仕方などの言葉の使い方を説明した後、「じゃあ、今、駅で道を聞かれたとします。さて、どうやって言ったらいいかな?」と質問しました。

そしたらコウキが元気よく手を挙げたので「ハイ、コウキ君」と、みんなが注目する中、「おまわりさんに聞けばいい」と、コウキは得意満面に答えたのでした。

そりゃそうだけど・・・でも、枠をぽーんと飛び越えた発想をするところが、子どもの面白さであり、自由さなのでしょう。その発想が、固定観念に囚われがちな大人の作った世の中を、変える力になるのではないでしょうか。少なくとも、肩の力は抜けるなと。

ね、コウキくん。

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2006.10.11

★死神

「死神がずっと付きまとうんだ」byシンヤ

「ウチなんか、やっと消したよー」byヒロ

中・高校生クラスでの昨日の会話。実は先週「あと一ヶ月の命だとしたら、何をするか」というお題を出しました。その設定として、「死神に死を宣告されたことにしよう」と言い出したことから、冒頭の発言は始まります。

目的は、一ヶ月で何をするか、したいかを考えることでした。なのにいつの間にかみんなの興味が「死神」に集中しちゃって、二週目になっても本題にはちっとも入らない。

昨日は先週の続きの作文を書いたのですが、やっと一ヶ月後に死ぬことを認識した、と言うあたりです。作文はフィクション仕立てになっています。

まあ、中高生に流行っている「デスノート」という映画の死神の影響もあるのでしょうが、それにしても、死神に死を宣告されるって言うあたりに、みんなハマっているようです。

死が怖いという発想でもなく、死そのものに興味があるわけでもなく、「死神との対話」が面白いみたい。

死神との対話とは、すなわち自分の十数年というこれまでの人生との対話であり、「生」との対話に他ならないからでしょう。死とは何か、すなわち生とは何かを中高生と考えるとき、「死神との対話」はオススメかもしれませんよ。

ところでいつになったら彼らは本題にはいるのか???まあ、脱線こそぶんぶん教室の醍醐味であり、面白い発見につながるので、いいんだけどね。

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2006.10.09

★夢十夜の質感

「夢十夜が、今度映画化されるの、知ってますか?」

ユウコちゃんからメールがメールが来ました。彼女は小学校から中学まで何年かぶんぶん教室に通ってくれた生徒です。今は高3生で、今年の初め、「またぶんぶんに通いたい」って、電話をくれました。そして今は、アトリエ新松戸(美大・芸大の予備校)の生徒であり、夏休みはアトリエの私の国語の授業で出会いました。

「ぶんぶんでもやったよね、第一話と三話」

「そうだね、よく覚えていたね。うれしいな」

何となく一話と三話がお気に入りで、授業で読んで作文を書きました。もちろんぶんぶんでやるのですから、単に感想文を書いたりなんてしませんよ~~ね。

ユウコちゃんは、どこまでこのお話を覚えているのか、その時どんなことを考えて作文を書いたのか。きっとそこまでは覚えていないかもしれない。

でも、それよりも、「ぶんぶんでやったね」と覚えていてくれたこと。それが大事なんだと思います。それで十分なんだと思います。ぶんぶんで読んだ、その時の教室の雰囲気とか、教室の電気とか、私の声とか、あなたの声とか、表情とか、、、そんなことが大事じゃないかな。それが作品の質感につながっていくような・・・作品を一緒に読むって、そういうことを共有するってことじゃないかな?

そして、一度出会っておけば、再会できる。親しい人に会った気分で。そしてその年齢ごとの感性で、何度も読み直して、考えを新たにしていってほしいなと思います。そして、そのためにとても力を持つのが、古典なんだと思います。

古典は普遍、そして柔軟です。解釈は作品の枠の中で、自由なんです!さて、最近古典やってないから、やろうかな?

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2006.10.08

★空がきれいだよ

「ぶんぶんちゃん、空がきれいだよ」

小1のみぃちゃんが、教室に入ってくるなり、言いました。私は思わず「みぃちゃん!」と言って、抱きつきました。だって、私もたった今まで、空を見て写真を撮っていたからです。油絵の具で書いたような雲が、たくさん浮かんでいました。何とか教室の時間に遅刻しないですんだけど。。。

「今日は空の作文にしようよ」というので、それに決まり。教室の向かいにある自転車置き場の最上階で、雲を眺めました。くねくねのへび、寝ているネズミ、泳いでいるお魚、頭だけのアジ・・・いろんな雲の形を発見。

「虹があるよ」と小3のナミちゃんが、発見。自転車の何かが反射して、小さな虹がコンクリートに落ちています。両手ですくって、手にのせました。確かにみんなの手の中に、虹が入ったよね。

そのあとナミちゃんだけ、俳句を作りました。彼女は私立の小学校に通っていますが、校内に俳句を投稿する箱があるんだって。ステキだね。そこに出してみようということで、作りました。ぶんぶん教室では、絵を書いて、短い作文を書いてから、俳句を作るようにしています。

韓国では外に出かけてスケッチするみたいに、作文も外で書くそうです。それを知人から聞いたので、教室でもときどき外で作文を書きます。雨上がりの秋空を眺めながらの作文は、とっても気持ちよかった~。子どもたちが帰ったあと、夕方の北の空は、雲がピンクにかがやいていました。

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2006.10.07

★雲に引っかかった~

「この前、太陽が雲にひっかかってたんだよねー」

小3のジョージが言いました。先週のことをまだ覚えていてくれたんだね。ぶんぶん教室の窓は、西向きに空いていて、そこから夕日が見えます。先週(9月の事)、ちょうど夕日が、JRのビルの窓の中にスッポリ入ったのが見えました。そのあと、半分雲に隠れたので、私が

「あ、太陽が雲に引っかかってる~~」と叫ぶとショージは、

「えーー」と驚いて、窓に駆け寄って見ていました。「雲に引っかかる」という表現が、どうやら本当に引っかかってしまったと、思ったらしいのです。きっと今でも思ってるかな?

そんなふうに、他の人の表現を面白がれるのは、ステキ! それが、自分なりの表現を見つけていく元になるからです。

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☆セトーさんありがとう

「いつまで、寝てるんだ!」

学生時代のセトーさんが、今日、夢枕に立って、私を叱ってくれました。セトーさんありがとう。また、頑張って書こう!書きたいことがないわけじゃない。むしろたくさんあり過ぎなんだけど。。。

ちなみにセトーさんは、学生時代のワンゲルの先輩で、卒業して一度会い、ネット上で一度交流しました。このブログの存在も知っている先輩です。ではでは。

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