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2006年3月

2006.03.29

★トキメキたいんだ!

㊥高生クラスで昨日。

映画を作ろうって話で盛り上がって、じゃ、ビデオってことになりました。 じゃ、誰がシナリオ作るのか、カメラは?いや、その前にテーマはなに?などはなした結果、「それはわたしは撮りたくない」とか、言い出して、結局皆自分がカメラマンをやりたいわけ。とりたいものもちがうわけ。

結局、何をとりたいか、作文に書いてくることになりました。撮るのも、自分ひとりで撮ることになりました。だから、バンドというのは、すぐに解散になるのですよ。わかるでしょ???

でも、そういう結論に達したのはとてもよかった!自分がやりたいコトが分ったわけだし、その後に、では共同で何ができるかを探れるわけです。これをやらずして、一緒にやり始めたら、きっと気持ちが乗れない。そんなのつまらない。仕事じゃないんだからね。いい意味でいい加減に、「良い加減に」やるのが、大切なわけです。

「わかった、やりたいようにまず、個人でやろう。その後また、みんなでやろう」 って、ヒートアップする女の子(含むぶんぶん)、クールに整理整頓したのは、シンヤです。きみ、いつのまにか成長してる!!

・・・言いたかったのは、「トキメキたいんだよ。未知とか夢とか」・・これもシンヤ発。でもみんなの気持ちだと思うよ。そして・・・わたしの気持ちでもあります。

うーん、ここだね、、きみたちとシンクロしてしまうチャンネルは。トキメキ大好きだもん。さくらにも、風にも雲にも、空にも石ころにも、音楽にも仕事にも、言葉にも、みんなにも、ときめいてますから。

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★きょんちゃん!

コメント上手く入りません。ココログの調子が、変わったのかな?

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2006.03.27

★ゆうこりん

高校生クラスができたとたん。びっくりするような電話がありました。

それは二年ぶりの、ゆうこちゃんからの電話でした。

「先生(彼女は、先生っていうの)、また、ぶんぶん教室に通いたいんです」

本当にグットタイミングで、びっくりです。やっぱり全てが繋がってる、偶然のようでいて、必然なんだーと思いましたよ。もちろん、涙でした。

中3で教室を卒業したゆうこりんは、この春、高3生になります。

「ぶんぶんの存在価値が、わかりました。そこで書きたいんです」

「ゆうこちゃん、すごく変わったんだねぇ。恋でもした?」

「いえ、、そうじゃないけど、でも変わりました^^」

二年前と違って、夢を持っているの。前もあったけど、何かくすぶっていたの。今はそれに向かって努力したい!って突き抜けてるの。毎日を楽しく過ごしたい!って思っていることが、電話で少し話しただけで分りました。

これから、またよろしくね。たくさんお話しようね。こういうことが、ぶんぶんへの最高の評価です。何者にも変えがたい、誉め言葉です。

思い出してくれて、本当にありがとう。

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2006.03.26

★死ぬことを考えたことはあるか?

少々重たい話題でごめんなさい。暗い話題が嫌な方は、飛ばしてください。

先日、土曜の高学年クラスで、何の授業だったのか?、死についての話になりました。

わたしは、小学校中学年か高学年か忘れたけど、一度、死んでしまおうと思ったことがあります。その時の話をしました。そうしたら一人の子が、「僕もあるよ」と言うんです。

「五回ぐらいあるよ」

「そう。でもぶんぶんちゃんは、どうやって死ぬかって、方法までは考えなかったなー」

「僕は考えた、車にぶつかるのと、高いところから落ちるの」

「ふーん。で、わたしはね、親にバレたきがして、バレターってことでドキッとして、止めたの。なんか急に、死にたくなくなっったの」

「僕も、ばれたと思った」

「そうそう、バレた、と思うんだよね。死にたいと思ってる気持ちが、バレるはずないのに」

「うん。僕は、道を歩いてる人に、バレたと思ったんだよ」

そんな会話でした。わたしは思わずこの子と、メル友になろうと思いました。でも、ケータイが、特定の人としか繋がらないものになっていて、今はムリでしたが(u_u;)

わたしたちの会話は、体験は不思議なものでした。でも、確かに私に「有った」感覚です。思い起こせばあの頃、現実に心引かれる楽しいことがない、という思いだったのでしょうか。現実感覚が薄くて、ふと、死んじゃおうかな、と気軽に思ったのです。小学生の頃は、勉強と家の手伝いをしているような、優等生でした。遊ぶ友達はいたけれど、本当に愉快ではなかった。

バレたから止めるというのは、悪巧みをしているのがバレた、という感覚でした。

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今の私が言えることはなんだろう?夜になって、カレーを食べたら思い出しました。

「死ぬ気になれば何だってできる」ってことです。ありきたりですが。よく子どもたちに話すことがあります。「明日、何かでもし地球が滅びるとか、死ぬとか分っていたら、今、なんだってできる。サティの交差点を裸でだって、歩けるよ!」って(すみません、比喩がこんなで)

だから、死ぬことをもし、考えた人は、次には何だってできるってことに、気づくでしょう。「底力」に変えて欲しい。変えていける!自分の夢に向かって、何だってできる力を、子どは持っているんですよね。もちろん大人もね^^

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2006.03.21

★ハードル

ポジティブに、想ってみて。

「人間関係は、自分を成長させるハードルだ」ってこと。

今すぐじゃなくていいから。

・・・なんてことを、本日の中・高生クラスは、考えてみました。

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2006.03.20

★生きるための回り道

人は人の中で人になる。

人は人に会って、自分になる。

人はだから、大事なもの。

だけど人が、自分の妨げになったり、自分を苦しめたり、自分を追い込んだり、自分を自分でなくしたりする。

そんな時は、無理せず、回避したり、逃避したり、退去したり、隠れたり、いろんなことをして、その場にいないことがいい。

学校を休んだっていい。転校もある。学校に行き続けて、勉強して、世間の言ういい学校に行くのと、「今」をしっかり「生きる」のとでは、生きる道を選んだ方がいい。無理に苦しむ必要はない。そうできる子もいる、できない子もいる。できない子が、気がかりだ。それは受け止めてくれる親が、どうかということに、かかっている。学校を休んだからって、落ち零れでも何でもないから。 そんなふうに、自分で生きる道を選んだ生徒と、受け止めた親が、ぶんぶん教室にいる。すごいと思うよ。

時にはそれが、反社会的なことだったり、反道徳的なことだったり、自分を傷つけたりするいろんな自傷行為だったり。でも、それでもいい。それは生きるために、その時に必要な道だから。

そうしないと、人は死んでしまうから。

生きることができて初めて、その妨げであった人間関係から、ようやく開放され、学び、大きくなっているのかもしれない。きっと、魅力的な自分がいる。ひとの痛みを感じることのできる、素敵なひとになっている。 そこには、回り道する余裕や時間が、必要だね。

誰かを責めたりするのではなくて。自分を成長させる糧であると、ポジティブにとらえられると、いいのだけれど。

小5の痛ましい事件を見て、考えたこと。

そして悩んでいるひとと、その周りの、みんなに☆

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2006.03.19

★カルタしないと、私・・・(名言)

******子どもの名言より*****

「カルタしないと、私死んじゃう!」

塾に行って

お勉強しすぎて

かなり疲れているひとが

こう言いました

そんなときぶんぶんちゃんは

すぐカルタをしちゃいます

そうじゃないひとが

「カルタしたい」といってもしません

それは差別でも何でもありません

そのひとに会って

カラダとか皮膚とか目とか耳とかで

感じ取った

そのとき必要なものを

わたしはやっていくだけです

*********************

ぶんぶん教室の壁(ドア)には、子どもたちの名言を書いた紙を、たくさんはってあります。「カルタしないと、私しんじゃう」というのもそのひとつです。前に来ていた小4の女の子の、言葉です。わたしが耳でつかまえたものを、たまにはっています。他のも少しずつ、紹介していきますね^^(気が変わらなかったら・・・)

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★ボケとツッコミ

私がいつも面白いひとでいられるワケじゃないんです

アナタがいい具合にボケてくれるから

ついついツッコんじゃうんですヨ

アナタがそんなコトをするから

アナタがそんな面白いコトを言うから

平気でいられない顔をするから

だからついつい

ココロが弾みだして

カラダが踊り出して

うふふと笑っちゃって

もったいたいから無駄にしないように

もっともっと面白いコトが浮かんじゃうんです

それが新しい自分の発見なんだ

アナタの創造なんだ

青空に雲がぽっと現れるようにね

****************

ほんとに子どもと話していると可笑しい

クリエイティブな対話は楽しい

何かがそこに出来上がっていく

新しい自分と相手を発見していく

(ある日の教室より)

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2006.03.15

★あざーっす

右サイド、おサルの連想ゲームのところで。

「あざーっす」って書いたら

「なにがあざーっすだ」って怒られた(u_u;)

だって、ギタリストのじゅんちゃんが言ってたから、書いてみたんだもん。これって、若者ことば?だれか、若者だと思うひとの、解説求む!!

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2006.03.13

★「理解できないこと」を理解する

オータニとの今日の会話が面白かったので、ここに載せますね。

オータニというひとは、前にも登場しましたが、私の若かりし頃からの「飲み友」です。今はマレーシアで日本人向けに塾をやっており、そこで作文も教えています。

以下、彼のブログ、マラヤ通信の記事「ヘレン・ケラー」のところでの、オータニとのやりとりです。


。。。。*****。。。。。。******。。。。。*****。。。。。。

僕は「愛」という言葉が理解できないので、「親切」に置き換えています。・・・というところに続けて・・・


親になると愛という言葉が理解できたような気がします。 でもそれが全てではない。男と女の愛といったとたん、わからなくなったり。ポルノグラフィティの歌詞に、「悲しみも喜びも僕の持つたくさんの名前のひとつだから」と僕(=愛)が歌っていて、なるほどと思ったり。 あとね、慈愛という言葉も、それを持つ人を前にすると、体験する(感じる)ことができます。それから言葉とルールは愛の為にあって欲しいと思います。愛が全ての始まりであり終わりであると思っています。

2006/3/12(日) 午後 9:17 [ ぶんぶん ]


ぶんぶんへ。たぶんそうやって、辞書の説明ではない、自分なりの言葉の意味をみつけていくのだろう。だから一人一人、言葉の意味範囲が違ってくる。それが言葉の面白さでもあり、怖さでもあると僕と思います。

2006/3/13(月) 午前 8:17 [ otiani ]


なるほど。 言葉の面白さと恐さ。肝に銘じておくね。 面白さは十分感じてきたけど、とくに子どもから。 最近は恐さ、というかどんなに言葉を尽くしても 理解し逢えない、かなしさを感じています。

2006/3/13(月) 午後 1:56 [ ぶんぶん ]


ぶんぶんへ。海外に住んでいると、「異文化理解」というテーマで生徒と話し合うことが多い。異なる価値を理解しよう、という面よりもむしろ、どうやっても理解できないものがあるってことを理解する、そういう側面をしっかり考えたいっていうのが、現在のテーマです。男女間とか環境の違いとか、日本にいたって、人との出会いは異文化体験だよね。

2006/3/13(月) 午後 4:53 [ otiani ]

「理解できないものがある」ってことを理解する、か。ステキですね。 そういえば前に、ある哲学の先生の授業を聴きにいったとき、いくら聞いてもわからない。日本語喋ってるのにわからない。わからないことってあるんだ!と感じたことを思い出したよ。 今日他の人とした会話。 一番大事な友人だったり恋人だったり、そういう人に限って、大事なことが理解し合えなかったり。だからこそ面白いんだと。だけど結果ではなく、理解し逢おうというプロセスが大事だと。子どもとのかかわりもそうですよね。

2006/3/13(月) 午後 5:14 [ ぶんぶん ]


理解の強要は関係の死。本当にそうですね。 わたし、たくさん殺したかも、関係を。 ところで、ヘレンケラーのところのコメのやりとりがおもしろかったので、わたしのブログに載せていい?ヤフーのブログは、コメントの長さ制限があるんだね。一度にかけなかったので。なぜかこちらに、書きました。

2006/3/13(月) 午後 5:17 [ ぶんぶん ]


ぶんぶんへ。こちらがヘレンケラーの方なんだけど(笑)。どうぞ載せてください。ぽくの場合、距離感不全症候群なので、英語という不自由なコミュニケーションツールを使ったぐらいがちょうどいいかも。

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2006.03.12

★権威のない教室

高校生クラスを作ります。それはみんなが作ってくれたのです。でも、商売ですから気になるのは月謝。親御さんたちはどう思っているのでしょうか。

サラちゃんちに聞いてみると、もうすっかり応援してくださっていました。ありがたい。そのときふと、子どもたちと自分のとの関係を、改めて考えてみました。三つのことが浮かびました。

①私は子どもよりは経験がある、経験からくる知恵も思考もある。

②子どもと私は、「存在」ということでは、対等である。

③可能性という意味で、子どもは私より格段に上である。

こんなふうに私はいつも、子どもに寄り添っているつもりでいます。

こんなことを考えていたら、またシンクロ。マレーシアで同じようなことをやってる旧知の友人のオータニのブログで、こんな言葉を発見しました。

「権威を教室から取り外すと、子どもたちは自由な意見を言ってくれる」(またしても正確ではありませんが)

本当にそうです。自己表現や「考える」ための教育に、権威は要りません。必要なのは対等な信頼です。権威があることで、むしろ自由な発想は、閉ざされるのだと、改めて感じました。

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2006.03.10

☆卒業おめでとう&これからもよろしく

卒業おめでとう。

今日は中学校の卒業式でした。教室の三年生も、無事高校が決まってよかったーー。みんなおめでとう。

さ、これからがぶんぶん生の卒業式本番。

カラオケ?

教室の中3生に、聞きました。これからどうする?ぶんぶん教室は・・・するとみんな「え?このまま来るけど?」

「えー、そうなの?来てくれるの。うれしいなー」

ということで、ことしから高校生クラスができました。みんなよろしくね。2時間枠ぐらいにしようか?テーマは何にしようか?教室飛び出そうか?いろいろ、やってしまうのもおもしろいね。そうそう、本作るの、途中だったね。受験も終わったし、本、作ってしまおう!!!

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2006.03.02

☆3日と5日のイベント!

さて、★3日(金)は、いつものパタータ・セッションデーです。もう明日じゃん(u_u;)

今月は、プロのギタリスト・下山亮平さんが、いらっしゃいます。今注目のギタリストです。時間は夜の7時から。詳しくは、パタータのポムペ「音楽イベント」を見てね。

公立高校の一般受験も終わり、ぶんぶん生もたくさんやってきます。発表はまだだというのに、誘ってしまいました。まったく親の顔が見てみたいわ。なんてステキな大人たちなんでしょう^^ありがとう。

さら、しんや、やーちゃん、あんり、ゆか、いづみ、りょうすけ、そして、ひろ。待ってるね。

★5日(日)は、新松戸流経大で、ミニタウンミーティングがあります。子育て世代の親向け講演会+アルファの、楽しいイベント。詳しくはねばぁらんどのポムペを見てね。

極秘情報?ですが、わたくしぶんぶんと、ぶんぶん生と、そしてファング(若者バンド)のメンバーも一部参加します。つまり、はちゃめちゃに楽しいこと、間違いなしですよ。「ためになったね」、というだけの講演会だけでなく、きっと心が揺さぶられて、何かせずにはいられなくなるイベントになると思います。お待ちしていますね。

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★ルールということ

尾崎豊のDVDを見ました。泣きながら見ました。口ずさみながら、見ました。踊りながら見ました。

映像の中の彼の言葉は、どれも凄い。今日残った心に残ったのは、ルールについてです。

「ルールというものの中で、人を傷つけるだけの方向に向いているルールは、良くない(守らなくていい)ルール。守るべきルールは、愛に向いているかどうかだ」(細かい表現違ってます)」

こんなことを、20歳ですっきりと言葉にして言えてしまうことが、すごいなと思います。本当に何かの代弁者であり、表現者だったんですね。今は亡き尾崎豊が、映像の中では、今も輝いていました。

ところで、同じようなことを、ボーイフレンドのぎいちゃんも、いつも言ってます。ぎいちゃんというのは、松戸市在住の、70歳過ぎのお友達。元市議さんで、保育園の理事長さんなどをやっています。彼はいつも言います。

「ルールは、今生きている人に合わせて、変えるべきものだ」と。決まりだから、できませんじゃなくて、可能にするために、ルールを変えればいいのだと。まさしく!

「決まりですから」と、何か自分の大事なものを拒否されても、あきらめないで。「今、人を救うことのできるルール」に変えていけばいい。

それは尾崎の言う、「愛のルール」です。

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