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2005.07.28

★砦と扉

ひゃ~~~、おおたにに添削されてしまいました。恥。でも、相変わらずな私だぁ。

魯迅の言葉は「表現は愛に基づく」だそうです。もう、にわか知識で書くから、こんなことになるんだよね、といういい見本ということで、お許しを(反省)。おおたに、ありがとう。引用とか、人tの言葉とかは、間違えてはいけません。


さて、砦と扉問題。

「表現は自由への砦」と「表現は自由への扉」。確かに、おおたにの言うように、砦だと、守るもの、扉だと、開かれているものという意味になると思います。

わたしも「扉」も、ふと頭をよぎりました。音が似てるから。そしてこれまでの私ならきっと、「扉」を選んだのだと思う、だけど、今の私は、「砦」なの。何故って?ロッカーだから。。というのは半分本当。

自分の自由とか、心の自由って、守るものだと思うから。自由を奪おうとするものは、私たちの周りにいっぱいある。意外とそれが、親切そうな顔で近づいてきて、自由を奪おうと狙っている。なぜなら「自由」が恐いから。

だから自分の自由は自分で守らなくてはならない。そのために表現する、っていうイメージかな。自由の世界がどこかにあるのではない。扉を開けて自由の世界へ行くのではなくて、生まれながらにあるはずの自由を、しっかりと守る。そのために表現が砦となる。

どうかなぁ?


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コメント

私も「砦」に1票!
少し前の私もやっぱり「扉」を選んだと思う。
「砦」に閉鎖的な印象を持ったと思う。

でも今の気分は「砦」
「ハウルの動く城」みたいなイメージ。

ところで「表現は自由への砦」ではなくて
「表現は自由の砦」だったよね、初めは。

投稿: ひゃくた | 2005.07.29 00:02

こういう問題に正解はないから、今、ぶんぶんちゃんなりに納得できることばを選べばいいと思う。

IT系で「窓(ウィンドウズ)」、「扉(ライブドア)」など「扉」をイメージすることばが多いのは、おそらく出来上がったコンテンツを流通させるというイメージを持っているからだろう。文章教育などでは、ことばの「森」「海」「宇宙」など、何か生命あるものが生成する場というイメージでとらえようとする傾向があるのかもしれない。

自由を「得る」か「守る」かも、各自のイメージだと思う。ぶんぶんちゃんが「守る」ものであり、「砦」を必要と考えているのは、外部に大きな敵を想定しているのだろうか。だから、ロッカーか。

僕は、作文を語るときに「こころ」というキーワードを使用することにためらいがあります。まだ誰にもわからない、あるいはおそらく今後もわかることのないだろう人間のうごめきに「こころ」という言葉をあてはめてしまうことで、それが利用可能なもの、手のひらにのせて、いじったり、変えたりできるものというイメージを持つことに抵抗があるからです。

公教育で「心のノート」というものがあるのを知っていますか? 自分の本心を学校ではき出さなければならない。それが本心であるのかウソであるのかを教師が判断して書き直しをさせる。結局は、他の生徒のチクリ合いになり、議論はつるし揚げになるというのは、僕たちの小学校のときの「終わりの会」の経験を考えると明らかだと思います。

作文教育は両刃の剣。欧米の作文教育が、形式を徹底して心の領域に踏み込まないのは、私的領域に公が介入してはならないという考えが徹底しているからだと思う。

そういうものに対する「砦」なのかな。あの文章は、塾の作文教材で、しかも、教員用に作ったメッセージだよね。そこのところは大丈夫?

投稿: おおたに | 2005.07.30 10:11

☆ひゃくた様
☆おおたに様


とても示唆に富んだコメントありがとう。とても短く語れないので、また、記事にできたらと思っています。ありがとう。

教材は、塾の先生向けなので大丈夫です。そして、わたしがやっているような作文教育は、学校ではなくむしろ塾のような、公教育でないところでやるのがふさわしいのだと、思いました。学校では無理ですね。いろんな意味で。
韓国などでは、小学生になると多くの子どもが作文教室に通うのだと聞きました。

投稿: ぶんぶん | 2005.08.01 16:35

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