★次、何書いたらいいの?
水曜クラスのチビッコ(低学年女子)クラスはすごい。何がすごいって、どんどん書いてしまう。女の子ばかりのせいだろうか。書くことが好きな子ばかりで、書くことに意欲的だ。
そんな彼女たちがよく言う言葉かある。「次、何かいたらいいの?」だ。毎回この質問が出ると、たまには自分で考えてよと、正直思うこともある。だけど、気を取り直して、そうは言わない。
なぜならきっと、彼女たちの心の中には、書きたいこと、伝えたいことがたくさん眠ってるから。だけど、それをどのような順番で、出していいか分からないだけだと、思うから。
きっかけとか、それを好きになったわけとか、どんな時に行くの?とか、今日はそこで何したの?とか、わたしがその作文を書くなら、こんなことを書くだろうということを、まったく私の経験則で、答えていく。
すると、それを自分の中から引っ張り出してきて、彼女たちは書く。だから、そこに書かれた風景も感情も会話も、私の知り得ない彼女たちの目や耳や身体をとおした経験であり、感じたことだ。
ものを書くということは、技術が必要だ。だけど、それ以上に大事なのは、何を表現するか、何を伝えたいか。そこを心の奥底から引っ張り出してくる作業が、一人で自由にできるようになれば、いいわけだ。それが一人でできるようになるまでは、技術指導だけではない、「何か」が必要な気がしている。
それは、何を書いても受け止めるよ、という寄り添い方ではないだろうか。言葉で「自由に書きなさい」というのとは全然違う。そんなことを言われたらますます書けないものだ。
評価というのは、もっとその先でいいのだと思う。だから私は、彼女たちが聞いてくれるならいつまでも、答えてしまうと思う。たぶんどこかで、「ぶんぶんちゃん、うるさいからちょっと黙っててよ」という日も近いと感じている。
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コメント
ステキな場所を作っていますね。
どの分野でもやたらと技術論が横行している。くやしいから、技術を極めてやろうと僕も思っている。でも、肝心なのは、「表現は愛に基づく」(魯迅)ということ。この人に伝えたい、この人だったらこんな話もしてみたいという気持ちなしに、技術論をいくら極めてもそれは不毛だと思う。いいたいことを言い切れないもどかしさを感じてはじめて「こういう言い方、伝え方があるのか」という技術が有効になる。なにを話しても、最後まで聞いてくれると思うと話したくなる。ちゃんと自分の話を受け止めてもらったら、反論がきてもうれしい。
自由に書きなさいなんて、自由の何たるかもわかっていない人にしか言えないことだと思う。「僕はいまこんなことを君と話してみたいと思うけど、君はどうだろうか」コミュニケーションはいつだって双方向に開かれたものでないとつまらない。
自分たちのできる範囲で、そういった場を作っていきましょう。
投稿: おおたに | 2005.06.25 01:23
お返事おそくなりました。
4日ぐらい連続でちょっと徹夜で仕事してました。
っていうといかにも忙しそうだけど、大丈夫。
昼間遊んで寝てますからね!
おおたにがブログを始めた事。とてもよろこんでいます。
お互いいい場所を作っていきましょう。
日本の片隅と、マレーシアの片隅で。そして片隅どうしが
こんな風につながっていられることも不思議です。
投稿: ぶんぶん | 2005.06.30 22:18