★「見る側」が問われる映画
さっきテレビに美輪明宏が語っていた。「ハウルの動く城」の映画についてだ。
*監督の宮崎駿さんは、どんなメッセージをこの映画に込めたのですか?(だいたいこんな質問でした)
美輪「宮崎さんはコレというメッセージを恐らく決めてない。独裁者じゃないんです。つまり見る側によって受け止め方はそれぞれ。見る側が問われる映画なんです」(だいたいこんな趣旨)
素敵だ!
さすが宮崎駿、さすが美輪明宏だ。どちらも好き。
小説でも詩でも、絵でも音楽でも、イルミネーションでも、伝えたいものがあって存在している。あるいはこの話のように、コレという一つのものではないかもしれない。押し付けないものであるかもしれない。でもきっと、伝えたいものはあるのだと思う。
そしていつもそれを読む側、見る側、聞く側は、問われている。「どう受け取るのか」問われている。それは必ずしも、作者が意図したものでなくてもいい。いや、そうじゃないほうがむしろ面白い。
意外と作者も気づいていないものまで、感じ取ることもあるからだ。それを知って、作者もまた驚くだろう。そういう相互作用がまた、次なる新しいインスピレーションを産み、新しい何かを創出する。
だから、「表現者」も押し付けるのではなく、受け取る側の自由さを愉しむゆとりが大事だ。芸術とはそういうものだろう。
子どもの作文も、そういった要素がある。もちろん作文の種類にもよるが、日常の言葉のやりとりとは、ちょっと違う。
「ハウル」を見て、「感動しました」だけしか言えないような、そんな情けないひとには、なるなよ~~。「表現者」に失礼である。ぶんぶん教室の子どもたちさん!
ちょっとずつ自分の感じたところから、かじってみて、何か言ってみようヨ。「ハウルの髪の色が好き」でもいいじゃない。
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