★人はなぜ、裸が恥ずかしいのか②さら作文
人間はなぜ裸が恥かしいのかというと、むずかしい問題だ。
私は、こう思う。私がせんとうに行ったら、まよわずに服をぬぐと思う。しかし、林間学園など、知っている人の前では、おふろに行っても、すぐには服はぬげない。
このことから、人間は、知っている人のまえでは、なかなか裸になれないが、知らない人の前だったら、すこしはとまどうが、裸になれる。ということがわかった。
人間は、生まれたときから服をきていたから、いつしか、服を着るにつれて、裸になることを忘れてしまったのだと思う。服を着ている友達が、あたりまえ、服を着てる親があたりまえ、服を着てる私が、あたりまえになっているのだと思う。
昔の人は、服を着てなかったのに、なぜそれが、私たちの中で、当たり前になったのだろうか。今、私は、自分の意見をのべるために書いたのに、分からなくなってしまった。
今でも、「人間はなぜ、裸が恥かしいのか」という問題は、私の中でのナゾだ。(中2さら)
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いつしか、服を着るにつれて、裸になることを忘れてしまったのだと思う。
思わず太字にしてしまった。この一文。味わい深いではないか。
今日のシネマさんのコメントにも通じる。裸が恥ずかしくないというシネマさん。「銭湯に行っても、金銀、ダイヤモンドをはずせないひとたち」。鋭い指摘。どうしてだろう。
それは「恐い」からだと思う。金銀ダイヤをはずしてしまって、裸のまんまの自分を見られるのが、恐いのだ。自信がないのだ。だから裸になってもなお、自分を誤魔化し、立派に見せたいのだ。
ふくよかでも、胸がなくても(ナイです)いいいじゃない、それがかわいい自分自身なんだから(最近、心が大人になりまして、少し恥かしくなくなりました、自分の裸。頑張ります)
いや、そういうことじゃないかもしれない。見えちゃってるんだから。
日常は戦いでもある。競争でもある。だから着飾ることや、戦闘服に身を包むことも必要だ。
しかし、いつしか裸になることを忘れてしまった私たち。たまには着飾るのをやめて、裸になって、等身大の自分を見つめてみるのも、大切ではないだろうか。それは自分を取り戻す、ということかもしれない。
そして、そこから始まることもある。そこからしか始まらないこともある。昔から「裸の付き合い」というではないか。
そんなことを考えさせてくれた、作文でした。サラちゃん!Thanks!
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コメント
うちの躾が、「例え家族の間でも、下着姿でうろうろしない。」だったし、内風呂があったモンで、銭湯も苦手でした。
結婚してからなにがいやだったって、旦那のパンツいっちょ。
しかし旦那は「家族だからいいじゃん。一応気を遣ってパンツは履いてるし」の一言で、意にも介さず家の中ふらふら。
だんだんこっちも慣れちゃって、今では家族中、風呂上がりは裸でウロウロしてますな。中学生になっても、娘は平気でパパと風呂にはいるし。(これは、最近パパの方が恥ずかしいらしく、もうちょっと恥じらって欲しいらしい。そういう意味では、教育失敗したかも。)
投稿: kemeko | 2004.10.19 16:50
kemekoさん。お久しぶりデス。
娘さんとパパさん、お風呂いっしょなんですか?
おおらかでいいですね。(≧∀≦)
まあ、そのうち恥ずかしくなっちゃうから、今のうちパパさんも娘さんとのお風呂タイム楽しんで下さい。
うちは父親の前でもハダカで平気で歩いてますよ。中2なのに。。。あ、書いたら怒られるかも。
やはりいつでも鎧を着ていて、ハダカになれないより
一つでもいいから、心も身体もハダカでいられる場所があるのは、素敵です。コメントありがとう!!ハダカ好き??
投稿: ぶんぶん | 2004.10.20 20:32