★なぜ人は裸が恥ずかしいのか⑤ちぃ作文
懲りずに裸ネタです。では中学生の作文から。
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なぜ人は裸がはずかしいのかと聞かれた時、私は困った。
ただ漠然と「恥ずかしいから恥ずかしい」という考えがうかんできただけだったからだ。人の中にはただ理由もなく「ただ裸は恥ずかしい」というイメージがあるのだと思う。
人の歴史でも、縄文時代から人は服を着ている。
明日は裸で学校へ行けといわれても、誰も行きやしないだろう。世界で決められても、しないと思う。
皆、誰かがやればやるとか、そういう考えなのだ。もちろんそんなかんたんには、裸ににならないだろう。生まれた時から刻まれたことは。
人は自分をさらけ出すのがこわいんだと思う。どこもかくせずにとまどっている。
心も同じだと思う。心の中の自分をさらけだして、傷つけられるのがいやだんだろう。
けっきょく色々書いても私にはわからない。なぜ人は裸が恥ずかしいのか。私も恥ずかしい。
まだまだ考えることが多そうだ。(中2ちぃ)
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人は自分をさらけだすのがこわいんだと思う。
心も同じだと思う。心の中の自分をさらけだして、傷つけられるのがいやなんだろう。
本当にまったくそのとおりだと思う。鋭い考察です。ちぃちゃんはいつも、どこか底知れず深いところから物事を考えるひとです。
それはきっと絶えず、自分の心と対話しているからだと思います。何かまわりの出来事を、いい加減に見過ごさないで、いつも「自分だったら・・」と考えているのでしょう。それが大事です。
そのことが大人なって、自分の道を選んでいくときに、決断力とか、判断力とかに繋がっていきます。
そして自分で決断して進む人は、失敗しても人のせいにしないで、また真っ直ぐに自分の道を進みます。頑張りすぎずゆっくり行ってね。ちぃちゃん。
さて、子どもは心を裸にしているので、傷つきやすい存在です。大人になるということは、鎧を着ることかもしれませんね。でも、鎧を着てばかりいると、そのうち自分の本心がどこにあるか、分からなくなっている人を見かけます。
自分がどうしたらいいかわかならないのは、全然気持ちのいい生き方ではありません。
気持ちいい自分を取り戻すために、時には心のハダカになりましょう。ハダカになれる場を持って、少しずつそれを広げていけば、いいと思います。人と比べないことです。
はだかシリーズを続けてきて、言いたかったのは、心のハダカです。
それからもう一つ、言い忘れていました。ハダカと言っても、どこまでがハダカなのか、分かりにくいものです。私たちの心は、玉ねぎのようでむいてもむいても、まだ奥があるようです。
どこまで見せればいい?
その答えは・・・「自分の見せたいものを見せるのは、気持ちいい」ということです。それにつきます。
人が決めるのではなくて、自分で決める。「どこまでが気持ちいいか」「何を見せたいのか」自分でか・ん・じ・て下さい。
・・・自分の見せたいものを見せるのは、気持ちいい・・・
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