★うざい、きもい、むかつく!
うざい、きもい、むかつく、、という言葉について、
やまぶし萬力発電さんのブログに記事がありました。
子供たちの言葉の乱れを、嘆くだけでなく、「良い言葉」のもつ意味について的確に書かれています。す
人は言葉に規定されている生き物ですから、当然良い言葉を使えばそれに引きこまれていくと思います。これには全く同感です。
また、教室のお母さんからも、「うちの子の言葉が、あまりにひどいんですけど、どうしたらいいでしょうか」と相談されることもあります。
私の毎日の現場は、こういう言葉との、ある意味で闘いでもあります。だからふと気になって、やまぶしさんのブログに、私は何気なくこんなコメントを残しました。
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子供たちの言葉の乱れは、親として心痛めるところですね。うちなんて兄弟でケンカして「しね」と言い合ってる始末。
ウザイ、キモイ、ムカツク、、私の教室の中学生もよく言ってます。だから私も真似して言ってます(笑)
そうすると今の子供たちの感覚、気持ちが分かるからです。それで使ってみるとあまり違和感なく、その世界へ入っていけるので不思議です。結構楽しい。
いい言葉とは思わなくても、最先端の時代の気分を受け止めてみたいんですね、私は。じゃないと今の子どもを理解して、、、なんていってもそれは、紙(じゃなくて絵)に書いた餅になります。そんな対処もありますです。
もちろん意味、気分を考えさせるとか、素敵な言葉を教えることも忘れてはいけませんが。
言葉は生き物です
☆・…☆・…☆・…☆
これは普段の私の教室での、実際の対応です。ちょっと言葉が足りなかったかなと反省し、ここで付け足したいと思います。
この言葉自体が良いかと言われれば、気持ちのいい言葉ではない。でも、言葉に関わるものとして、ただ言葉狩りのように、「使ってはいけません」とは、言い切れない気持ちも、正直あるのです。
言葉は生き物。きっと今大人が普通に使っている言葉の中にも、一昔前にはなかった言葉が、あると思います。だからその言葉が生まれた、生まれざるを得なかった背景というものにこそ、目を向ける意味があると思うのです。
言葉の意味を考えてみましょう。
キモイは、気持ち悪いの短縮形でしょうかね?まぁ気持ち悪いという意味で使われているようです。
ウザイはうざったい?でもうざったいは、分からないので、宿題。意味は、うっとうしいということかな?
ムカツクは、ふつう胃のむかつき、などと使われています。ムカムカする怒りの気持ち。腹が立つ、頭に来る、という意味かな。
気持ち悪い、うっとうしい、腹が立つ。そいういう言葉はあるのですから、そういう気持ちもあるのです。でも、きっと言葉が変わると少しニュアンスが変わるのも、確かでしょう。ニュアンスが変わっても、言葉自体ダメとは言えるのかどうか。
では何がダメなのか。子どもたちが使っていて、何が気になるのか、何が居心地悪いのか。それは、どういう場面で使うか、ではないでしょうか。つまり、どんな時、誰に向かって言っているか。
「オマエ、きもいよ」と言えば、相手は相手は傷つきます。こういう使い方は、この言葉に限らず気をつけなければいけませんよね。こういうのは、子どもに使い方を考えさせるべきだと思います。「あたなが言われたら、どう?」って。
「あの先生、うざー」というのはどうでしょう。「あの先生、うっとうしい」と言い換えてみたら、特に悪いように思えません。でも、ウザイという言葉に、耳が反応してしまう。イヤ言葉だなと。ついでに先生の文句言うなと。だから「使うな」となる。
微妙なニュアンスの違いは何か。それは、「いまの中学生の気分が入っている」ということです。そこが生意気な感じがしてイヤなんじゃないか。
中学生の気分とは、先生や大人はうるさい(うざい)、勉強は面倒、だから注されると腹が立つ(ムカツク)、自分と違う人間には、この年代は特に排他的(きもい)。
今の中学生の気分と言いましたが、よーーく考えると、これ私たち大人も、中学生の時、同じだったのではありませんか?ただ、ここまでおおっぴらに、過激に表現しなかっただけ。あるいは違う言葉があった。
言葉自体良くないという前に、「人を傷つける言葉の使い方」は良くない。ということをまず子どもに考えさせる。どういけないのか、あたなはどんな気持ちで使っているのか。そこはきちんと分けて、子供たちに考えさせ、伝えていく必要があると思うのです。
もう一方で大人も、耳ざわりだと思わずに、ちょっとぶんぶんちゃんの真似して使ってみるゆとりを持ちたい(笑)。もちろん美意識がありますから、無理にとは言いません。私は子どもたちの気分を知リたいから、使うのですから。そのあとの対処だってあるのです。
人間は言葉に規定されます。言葉で理解します。言葉がなければ分かりません。だから汚い気持ちは、汚い言葉で表現して初めて、認識される。だから、一見、言葉がなければいいようにも思う。でも汚い気持ち、人を憎んだり悪く思ったりする気持ち。それが人間なんですよ!!誤魔化してはいけない。まず、認めるところから。
言葉を刈れば、汚い気持ちがなくなるか?私はそうは思わない。鬱々としたり、汚い気持ちを溜め込んで、一気に暴走する方が、よっぽど恐い。気持ちはエネルギーですから、ためたら爆発します。フタをすることはできないし、してはいけない。
言葉を言ったという、外側ばかり気にするのでなく、それよりも、そういうイラついた気持ちを持ったとき、どうしていけばいいのか。それを教えるのがまず、先決であり、大人の役目です。 そうすることで、反対にウザイ、ムカツクなとの言葉を、相手に投げつける必要がなくなるかもしれません。
言葉は、神様が人間だけにくれたコミュニケーションの大事な道具なのです。
(ひゃー長くなった。ここまで読んでくださった方、ありがとう)うまく伝わったかな?
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コメント
こんにちは。
うろ覚えなんですが、何かの遺跡で見つかった古代の落書き。
「最近の若いモンはなっとらん」でしたっけ?
いつの世も、若者の風潮は大人にとって眉をひそめるものなんでしょう。
乱暴な言葉を認めてるわけではありませんが
子どもたちの社会では、こういう言葉を使わないと仲間はずれにされることもありますよね。
それに、悪ぶってみたりすることもあるんじゃないかと思う。
私は周囲の大人たちの言葉も関係してくると思ってます。
周囲がきれいな日本語を使っていれば
一時的に悪い言葉を使っていても、いつかは元に戻るんじゃないでしょうか?
大人の責任は重いですね。
投稿: わち | 2004.10.23 17:06
わちさん。
掲示板への中学生への素敵なアドバイスありがとうございました。さらも喜んでます。
さらもきちんとお返事書いてすごいな。というかいつの間にかしっかりとしたコミュニケーションを取れてるさらを見て、何だか嬉しくなりました。
親心ってもんでしょうか?
これからもヨロシクお願いします。
投稿: ぶんぶん | 2004.10.27 21:03