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2004年10月

2004.10.31

★PTAその後

 いやあ、この前はすっかり特攻隊してしまいました。我が子のかよう公立小学校のPTA総会で、のことです。

 でも、そのお陰で、とある方から電話をいただき、少しお話しました。

 なんか、教頭とか責めまくっちゃった私でしたが、あぁ、もっとやさしく色っぽく迫ればよかったのにぃ、でも、わたしの発言の趣旨など、誤解なく受け取ってくださった方もいらしたのだなと、すごくほっとしました。

 電話を下さった方、ありがとうございました。

 問題は山積みのPTA。今年役員にたまたまなられた方は大変だと思います。問題の一つに、役員の選び方が前から不透明だと指摘されていました。

 たまたま、他の学校の例や,何かいいアイデアはないかと、私に尋ねてくださる方がいましたので、ちょっと気になっています。
 
 もし、こんな方法がいいよ、という情報がありましたら、教えて下さい!何でも結構です。

 (ちなみに私はハダカ方式がいいです。誰からも分かりやすく公平で公正で、簡潔な方法がいいな。って高望みですか?)よろしくお願いします。

 

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2004.10.27

★なぜ人は裸が恥ずかしいのか⑤ちぃ作文

 懲りずに裸ネタです。では中学生の作文から。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 なぜ人は裸がはずかしいのかと聞かれた時、私は困った。

 ただ漠然と「恥ずかしいから恥ずかしい」という考えがうかんできただけだったからだ。人の中にはただ理由もなく「ただ裸は恥ずかしい」というイメージがあるのだと思う。

 人の歴史でも、縄文時代から人は服を着ている。

 明日は裸で学校へ行けといわれても、誰も行きやしないだろう。世界で決められても、しないと思う。

 皆、誰かがやればやるとか、そういう考えなのだ。もちろんそんなかんたんには、裸ににならないだろう。生まれた時から刻まれたことは。
 
 人は自分をさらけ出すのがこわいんだと思う。どこもかくせずにとまどっている。

 心も同じだと思う。心の中の自分をさらけだして、傷つけられるのがいやだんだろう。

 けっきょく色々書いても私にはわからない。なぜ人は裸が恥ずかしいのか。私も恥ずかしい。
 
 まだまだ考えることが多そうだ。
(中2ちぃ)

   ☆・…☆・…☆・…☆

 人は自分をさらけだすのがこわいんだと思う。

 心も同じだと思う。心の中の自分をさらけだして、傷つけられるのがいやなんだろう。

 本当にまったくそのとおりだと思う。鋭い考察です。ちぃちゃんはいつも、どこか底知れず深いところから物事を考えるひとです。

 それはきっと絶えず、自分の心と対話しているからだと思います。何かまわりの出来事を、いい加減に見過ごさないで、いつも「自分だったら・・」と考えているのでしょう。それが大事です。

 そのことが大人なって、自分の道を選んでいくときに、決断力とか、判断力とかに繋がっていきます

 そして自分で決断して進む人は、失敗しても人のせいにしないで、また真っ直ぐに自分の道を進みます。頑張りすぎずゆっくり行ってね。ちぃちゃん。

 
 さて、子どもは心を裸にしているので、傷つきやすい存在です。大人になるということは、鎧を着ることかもしれませんね。でも、鎧を着てばかりいると、そのうち自分の本心がどこにあるか、分からなくなっている人を見かけます。

 自分がどうしたらいいかわかならないのは、全然気持ちのいい生き方ではありません。

 気持ちいい自分を取り戻すために、時には心のハダカになりましょう。ハダカになれる場を持って、少しずつそれを広げていけば、いいと思います。人と比べないことです。

 はだかシリーズを続けてきて、言いたかったのは、心のハダカです

 それからもう一つ、言い忘れていました。ハダカと言っても、どこまでがハダカなのか、分かりにくいものです。私たちの心は、玉ねぎのようでむいてもむいても、まだ奥があるようです。

 どこまで見せればいい?

 その答えは・・・「自分の見せたいものを見せるのは、気持ちいい」ということです。それにつきます。

 人が決めるのではなくて、自分で決める。「どこまでが気持ちいいか」「何を見せたいのか」自分でか・ん・じ・て下さい。
 

 ・・・自分の見せたいものを見せるのは、気持ちいい・・・
 

 

 

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2004.10.23

★うざい、きもい、むかつく!

 うざい、きもい、むかつく、、という言葉について、
やまぶし萬力発電さんのブログに記事がありました。

 子供たちの言葉の乱れを、嘆くだけでなく、「良い言葉」のもつ意味について的確に書かれています。す

 人は言葉に規定されている生き物ですから、当然良い言葉を使えばそれに引きこまれていくと思います。これには全く同感です。

 また、教室のお母さんからも、「うちの子の言葉が、あまりにひどいんですけど、どうしたらいいでしょうか」と相談されることもあります。

 私の毎日の現場は、こういう言葉との、ある意味で闘いでもあります。だからふと気になって、やまぶしさんのブログに、私は何気なくこんなコメントを残しました。

 ☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆

 子供たちの言葉の乱れは、親として心痛めるところですね。うちなんて兄弟でケンカして「しね」と言い合ってる始末。

 ウザイ、キモイ、ムカツク、、私の教室の中学生もよく言ってます。だから私も真似して言ってます(笑)
 
 そうすると今の子供たちの感覚、気持ちが分かるからです。それで使ってみるとあまり違和感なく、その世界へ入っていけるので不思議です。結構楽しい。

 いい言葉とは思わなくても、最先端の時代の気分を受け止めてみたいんですね、私は。じゃないと今の子どもを理解して、、、なんていってもそれは、紙(じゃなくて絵)に書いた餅になります。そんな対処もありますです。  
 
 もちろん意味、気分を考えさせるとか、素敵な言葉を教えることも忘れてはいけませんが。

 言葉は生き物です

  ☆・…☆・…☆・…☆

 これは普段の私の教室での、実際の対応です。ちょっと言葉が足りなかったかなと反省し、ここで付け足したいと思います。

 この言葉自体が良いかと言われれば、気持ちのいい言葉ではない。でも、言葉に関わるものとして、ただ言葉狩りのように、「使ってはいけません」とは、言い切れない気持ちも、正直あるのです

 言葉は生き物。きっと今大人が普通に使っている言葉の中にも、一昔前にはなかった言葉が、あると思います。だからその言葉が生まれた、生まれざるを得なかった背景というものにこそ、目を向ける意味があると思うのです。

 言葉の意味を考えてみましょう。
 
 キモイは、気持ち悪いの短縮形でしょうかね?まぁ気持ち悪いという意味で使われているようです。
 ウザイはうざったい?でもうざったいは、分からないので、宿題。意味は、うっとうしいということかな?
 ムカツクは、ふつう胃のむかつき、などと使われています。ムカムカする怒りの気持ち。腹が立つ、頭に来る、という意味かな。

 気持ち悪い、うっとうしい、腹が立つ。そいういう言葉はあるのですから、そういう気持ちもあるのです。でも、きっと言葉が変わると少しニュアンスが変わるのも、確かでしょう。ニュアンスが変わっても、言葉自体ダメとは言えるのかどうか。

 では何がダメなのか。子どもたちが使っていて、何が気になるのか、何が居心地悪いのか。それは、どういう場面で使うか、ではないでしょうか。つまり、どんな時、誰に向かって言っているか。

 オマエ、きもいよ」と言えば、相手は相手は傷つきます。こういう使い方は、この言葉に限らず気をつけなければいけませんよね。こういうのは、子どもに使い方を考えさせるべきだと思います。「あたなが言われたら、どう?」って。

 「あの先生、うざー」というのはどうでしょう。「あの先生、うっとうしい」と言い換えてみたら、特に悪いように思えません。でも、ウザイという言葉に、耳が反応してしまう。イヤ言葉だなと。ついでに先生の文句言うなと。だから「使うな」となる。

 微妙なニュアンスの違いは何か。それは、「いまの中学生の気分が入っている」ということです。そこが生意気な感じがしてイヤなんじゃないか。

 中学生の気分とは、先生や大人はうるさい(うざい)、勉強は面倒、だから注されると腹が立つ(ムカツク)、自分と違う人間には、この年代は特に排他的(きもい)。

 今の中学生の気分と言いましたが、よーーく考えると、これ私たち大人も、中学生の時、同じだったのではありませんか?ただ、ここまでおおっぴらに、過激に表現しなかっただけ。あるいは違う言葉があった。

 言葉自体良くないという前に、「人を傷つける言葉の使い方」は良くない。ということをまず子どもに考えさせる。どういけないのか、あたなはどんな気持ちで使っているのか。そこはきちんと分けて、子供たちに考えさせ、伝えていく必要があると思うのです。

 もう一方で大人も、耳ざわりだと思わずに、ちょっとぶんぶんちゃんの真似して使ってみるゆとりを持ちたい(笑)。もちろん美意識がありますから、無理にとは言いません。私は子どもたちの気分を知リたいから、使うのですから。そのあとの対処だってあるのです。

 人間は言葉に規定されます。言葉で理解します。言葉がなければ分かりません。だから汚い気持ちは、汚い言葉で表現して初めて、認識される。だから、一見、言葉がなければいいようにも思う。でも汚い気持ち、人を憎んだり悪く思ったりする気持ち。それが人間なんですよ!!誤魔化してはいけない。まず、認めるところから。

 言葉を刈れば、汚い気持ちがなくなるか?私はそうは思わない。鬱々としたり、汚い気持ちを溜め込んで、一気に暴走する方が、よっぽど恐い。気持ちはエネルギーですから、ためたら爆発します。フタをすることはできないし、してはいけない

 言葉を言ったという、外側ばかり気にするのでなく、それよりも、そういうイラついた気持ちを持ったとき、どうしていけばいいのか。それを教えるのがまず、先決であり、大人の役目です。 そうすることで、反対にウザイ、ムカツクなとの言葉を、相手に投げつける必要がなくなるかもしれません。

 言葉は、神様が人間だけにくれたコミュニケーションの大事な道具なのです。

(ひゃー長くなった。ここまで読んでくださった方、ありがとう)うまく伝わったかな?

 


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2004.10.21

★サラの懺悔

 へたれ中学校教師に喝を入れる女子中学生!!というコピーでもつけたいくらいだわぁ。(≧∀≦)

 誰か、心あるひと、そうそう、あなたです。夕べのあの台風のさなかの、さらちゃんの懺悔を、ちょい、覗いてみて下さい。

「ざんげの部屋」という名の「掲示板」ですよ。もう、泣けます、笑えます。文章が絶妙
 (ああ、私の「愛の教え」の賜物ね!誰も言ってくれないから自分で言うもん)

 そしてさら母の一言がまた、凄い!

 できたら一言、コメントでも贈って下さると、教祖としては嬉しいです。青少年の健全育成のためにね・・・

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2004.10.20

★なぜ人は裸が恥ずかしいのか④羽石・作文

 なぜハダカは恥ずかしいのかというと、ぼくには、答えがない。というより答えをみつけたりするのがむずかしい。その前に考えたことねぇよ。

 もし自分の周りの人がハダカになってしまったら、自分は「どうしよう」と思う。

 犬や猫がハダカなのにくらべ、人間はいつも服をきている。ぼくは、犬や猫が服をきてもなんともおもわないが人間は、おしゃれや、恥ずかしい心がはったつしているのだと思う。

 自分の身の周りがハダカになったら、どんなに最悪なことだろう。想像するだけで頭がこんらんする。

 もしげんになったら、学校やサティにいかず、家の中でひきこもっているだろう。外を出歩くことじたいが、ぼくにとってはごめんだ。⇒(ぼくは、ご免こうむりたい)
 
 ぼくは人間が(なぜ)ハダカが恥ずかしいのかは、わからない。けど、(人間は)それなりの個性があると思う。

 恥ずかしいと思えることは大切なことの一つかもしれない。(中1羽石)


  ☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆

 恥ずかしいと思えることは大切なことの一つかもしれない。

 いいねぇ。たいせつだねぇ。本当にそうだね。恥ずかしいと思えることこそ、人間の人間たる所以(ゆえん)なのだと、改めて思ったよ。

 「恥じを知る」という言葉がある。「恥ずべきことを恥ずかしいと思う、人間らしい心」と岩波国語辞典にある。

 裸なんて、恥ずかしいですよ、実際。それを素直に恥ずかしいと言えるキミは、とても人間らしい心の持ち主だ

 実は火曜日の中学生クラスで、みんな最初から服を着てるから、着ないと恥ずかしいのだ、という考えが、話し合いの中で出てきた。それでみんな納得してしまった。

 でも、そうだろうか?と、ぶんぶんちゃんはその一つの答えにまとまってしまうことに、不満があった。ちょっと簡単に考えすぎだと思った。

 「明日からみんな裸だと決まったら、みんなできる?」と聞くと「できない」という。でも、その先に思考が行かなかったの。

 だから羽ちゃんの考えを読んで、いいなと思った。みんなが裸になったら、引きこもる、というところがいいよ。 

 みんなが服着てるから裸が恥ずかしい、というのもあるだろう。みんな裸だったら、恥ずかしくないのかもしれないね。実際、テレビで見る裸族の村なんかでは、誰も恥ずかしそうじゃない。

 だけど、文明社会においては、それだけでは済まない部分がある、とも思っている。それは次の記事に書けるかな?

  ☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆

【作文のツボ】アンダーラインの「比べる」ということについて。これも思考のための、大事な技術です。どう考えていいか分からないとき、比べて考えてみましょう。⇒違いが見えてくる⇒考えが生まれるよ!
 
 なお、上の作文のカッコ内は、私が付け足しました。   

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2004.10.19

★ハダカ革命!

 さっき、教室で中学生と話していて、しんや(中2)が言った。ハダカ革命!

 そう、それをしたいのだ。シンプルにそれをしたのだと、思った。

 ぶんぶん教室から、ハダカ革命宣言! 

 10月19日はハダカ革命記念日

 短歌詠まなくちゃ!

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2004.10.18

★なぜ人は、裸が恥ずかしいのか③しんや作文

 なぜ人は裸が恥ずかしいのかと聞かれると、分からないと答えるしかない。

 もしも人が全員裸だったら、服屋がつぶれる。水着は売れなくなり、ビーチは裸族であふれるだろう。

 ドッチボールもめっちゃいたい遊びになるし、柔道なんかは文字通り「つかみどころ」がなくなるだろう。剣道にいたっては、多分まっぱでやるか、試合でつけてるアレを裸につけるかどっちかだろう。

 塾で勉強するときも、先生も教えられてる生徒も、真っ白の世界の中で裸で授業をしている光景を思い浮かべると、変で笑いたくなってくる。(中2しんや)

   ☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆

 「文字通りつかみどころがなくなるだろう」に、一本!

 めっちゃ想像力がかきたてられる文章だね。ビーチも裸、ドッチボールも柔道も剣道も裸、、、もう、こうなったら、どこでの裸が一番刺激的か、一番ツボにハマるか、それぞれ個人が考えるとよろしい!!

 ということで、ぶんぶんちゃんとしては、まず、お料理を作っているとき。裸なんだけどエプロンだけつけるってのは、けっこうエロティックだよね。白くてメイドさんみたいなやつ。どきどき、はらはら。

 次。朝の通勤電車。裸のサラリーマンは、やはりネクタイだけは首からぶら下げていて欲しい。それが唯一、企業に隷属し、男社会のピラミッドの奴隷であることの「刻印」だから。

 いっそのこと、ネクタイに階級を表す模様を決めたらいい。水玉は課長、ベイズリーは部長クラスとか。斜めのストライプは平社員。リストラ候補は赤(危険信号)1色とか。(ごめんなさい)

 取締役は、キティちゃんとかウルトラマンとか、キャラもので。過激になってきたので、やめよう。

 三つ目は、警察と泥棒。どっちも裸だと、途中で立場が反対になっても分からない。どっちがどっちか分からない。困る。だからお巡りさんは裸に帽子。警棒も持ってる。

 泥棒は?日本古来の手ぬぐいで、顔を隠して鼻の下で結ぶか、ギャングファッションとして、目だし帽をかぶる? あ、やっぱり私の好みは、ストッキングでしょうか
 
 ああ、変な想像してしまいました。怒らないでね。純な中学生の柔らかな想像力の翼に、触発されただけだから。
いつも考えているわけではないのよーー。

 裸って楽しいね。

  ★・・・・・★・・・・・★・・・・・★

【作文のツボ】
作文を書いていて、ものを考えていて、行き詰まったら、「もしも」を使おう。もしも・・・だったら、と考えよう。上の作文のように、想像力の翼が広がって、思考の世界が膨らむよ。

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2004.10.17

★愛とは「共存する意思」

愛=共存の意志、と心理学のセンセイが言ってた。
情ではなくて、意志です、と繰り返してた。


 ひゃくたさん、いつも熱いコメントありがとう。今回は特に熱を帯びていました。だからヤケドしないように、ふぅふぅと、少し冷ましておりまして、今頃のお返事です。
 
 「愛は共存する意思」。素敵だね! 情ではなく意思、というところが特に。情というと、何か日本人的な流される感じがする。歌でいうと「演歌」ですねぇ(笑)。

 だけど「意思」というと、とても強い。自分が選択し、意のまま突っ走る感じ。歌で言うと・・・ロック?

 何度も言おう。「愛は共存する意思」。この世に共に存在する意思なんだからねぇ。心理学のセンセってのも、たまには良いこと言うなぁ。「真理学」の間違いかもね。うふふ。

 実は、コメントいただいた記事を読み直していたら、はたと矛盾に気づいた。最後の方で、矛盾することを書いていた、あららな私。↓

「あいだ」の時代

 「あいだ」が大事だと言いつつ、最後にあいだで生きるには、「自分と他との境界線をきっちりと引くことだ」と、まったく反対のことを言っている。これについて、言い訳しようっと。

 うーん、やはりきっちり境界線を引くことは必要だと思う。だけど、時に溶け出して境界が曖昧になったり、繋がってひとつになったり、そういうことを「あいだ」という空間で、行えばいいんじゃないかと・・・

 つまり男女が愛を確かめ合ったり、あと「対話」したりね。きっといろんな方法があるんだろうけど。

 「対話」というのは議論と違って、お互いの意見を、分からないなりにも想像力で認めつつ、それを自分に取り込んで、さらに自分の思考がステップアップしていく、新しいものを生み出す大事な「方法」だと思うんです。

 
 愛の話に戻ろう。

 愛は共存の意思であると、私も思う。そしてもう一つは、「愛はただそこに在るもの」だと最近思っているの。

 奪うものでもなく、与えるものでもなく、欲しがるものでも、求めるものでもなく、ただ、そこに在るもの。

 それは空に太陽があり、星や月が在るように、大地に草や花があるように、ふと在る。どこにも在る。というか、そういう存在そのものが、「愛」なのかもしれないね。誰も太陽を奪えない。誰も花を独り占めできない。

 そういう目で見てみると、太陽も星も、花も草も、何気なく共存しているね。彼らは自らの内なる世界に、「共存する意思」を、こっそり秘めているのだろうか。
 

 この話題は、まだ続きそう。

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★人はなぜ、裸が恥ずかしいのか②さら作文

 人間はなぜ裸が恥かしいのかというと、むずかしい問題だ。

 私は、こう思う。私がせんとうに行ったら、まよわずに服をぬぐと思う。しかし、林間学園など、知っている人の前では、おふろに行っても、すぐには服はぬげない。
 
 このことから、人間は、知っている人のまえでは、なかなか裸になれないが、知らない人の前だったら、すこしはとまどうが、裸になれる。ということがわかった。

 人間は、生まれたときから服をきていたから、いつしか、服を着るにつれて、裸になることを忘れてしまったのだと思う。服を着ている友達が、あたりまえ、服を着てる親があたりまえ、服を着てる私が、あたりまえになっているのだと思う。

 昔の人は、服を着てなかったのに、なぜそれが、私たちの中で、当たり前になったのだろうか。今、私は、自分の意見をのべるために書いたのに、分からなくなってしまった。

 今でも、「人間はなぜ、裸が恥かしいのか」という問題は、私の中でのナゾだ。(中2さら)

   ☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆

 いつしか、服を着るにつれて、裸になることを忘れてしまったのだと思う。

 思わず太字にしてしまった。この一文。味わい深いではないか。

 今日のシネマさんのコメントにも通じる。裸が恥ずかしくないというシネマさん。「銭湯に行っても、金銀、ダイヤモンドをはずせないひとたち」。鋭い指摘。どうしてだろう。

 それは「恐い」からだと思う。金銀ダイヤをはずしてしまって、裸のまんまの自分を見られるのが、恐いのだ。自信がないのだ。だから裸になってもなお、自分を誤魔化し、立派に見せたいのだ。

 ふくよかでも、胸がなくても(ナイです)いいいじゃない、それがかわいい自分自身なんだから(最近、心が大人になりまして、少し恥かしくなくなりました、自分の裸。頑張ります)

 いや、そういうことじゃないかもしれない。見えちゃってるんだから。


 日常は戦いでもある。競争でもある。だから着飾ることや、戦闘服に身を包むことも必要だ。

 しかし、いつしか裸になることを忘れてしまった私たち。たまには着飾るのをやめて、裸になって、等身大の自分を見つめてみるのも、大切ではないだろうか。それは自分を取り戻す、ということかもしれない。

 そして、そこから始まることもある。そこからしか始まらないこともある。昔から「裸の付き合い」というではないか。

 そんなことを考えさせてくれた、作文でした。サラちゃん!Thanks!

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2004.10.15

★人はなぜ、ハダカが恥ずかしいのか

 自然体でかわいいちーちゃんと、ママ(ジャイチと呼ばれてる)の会話。

ちー「お母さん、人間はどうしてハダカが、恥ずかしいと思う?」

「身体にモジャモジャ毛が生えていないからじゃない??

 ぶわーーーハハハッ! 教室中、ぐらぐら大揺れ! 震度5

 かくして、「ハダカは何故恥ずかしいか」という、この禁断の哲学的テーマの追求に、拍車がかかったのは言うまでもない。

 楽しい作文いっぱいあったので、あとでアップします。こっちとの絡みも、見てね。

 ⇒   ねばぁらんど掲示板 (エデンの園の記事)

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2004.10.13

★公立高校受験作文「好きな場所」

■「私の好きな場所」をテーマに200字程度で書く

 以下は教室で、たまたま400字以内で書いたものです。受験作文の解答例ではありません 

 解答とするには、コレを200字に縮小すればいいのです。後日紹介します。

   ☆…☆…☆…☆

 私の好きな場所は、学校の一階の北校舎廊下だ。「好きな場所」と聞かれたら、その場所しか思いつかない。

 私はクラスでうまくいっていない。それが原因なのかわからないが、私は少し人を信じられなくなった。周りの人を警戒するようになったし、クラスの人を敵だと思っている。それで私は一人を好むようになった。誰にも何も言われない一人が好きだ。
 

 一階の北校舎廊下は、全然人が通らない。休み時間なんかは、ほんとに人が通らない。暗くて、少ししめっているこの廊下は、人の気配がない。
 
 中学校に行って、自分の好みが変わった。でもそれは悪い意味じゃなくて、自分が成長していることだと思う。私はその廊下でいつも、自分の心の中を旅している。(中1・ちー)

   ☆・・・☆…☆…☆
 
 言葉が、一文一文が、読むものに鋭く切り込んでくるね。自分を冷静に見詰める目を、もっている人だ。

 「心の旅」なんて素敵な言葉なんだろう。

 「自分が成長していることだと思う」・・前向きだね。プラス思考だ。今は表に現れていなくても、陰でキミを応援している人が、必ずいる。見ている人が必ずいる。これは私の中学のときの経験から、そう思うよ。

 そしてお父さんも、お母さんも、キミの話をよく聞いてくれる、素敵な大人だよね。そんなときは思い切り、泣こう。泣くのは大事だよね。たくさん甘えさせてほしい、お父さん。

 だからこそ、キミはこの作文のように、しっかり自分を見つめることができるんだよ。私もいつも応援してる。どんどん書いて、心の旅をして。「自分」が見えてくるから。すると自信になる。

 「今のままのキミ」が好き。今のままでいて欲しいな。きっと「モモ」のようなひとになれる。勇気ある作文。そしてカミングアウト。ありがとうね。\(⌒O⌒)/

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2004.10.12

★「あいだ」の時代

 「あいだ」について最近考えている。小学生とも話してみた。

 「今ってどのくらいの間だろう」ってこと。過去と未来の「あいだ」が今だとすると、今ってどのくらいの間なんだろうねぇ。

 「本当だ。さっきボクがぶんぶん教室に入ってきたことは、もう過去になっている」と、いつも哲学的な3年のげんき君がすぐに反応した。

 「今」と言った瞬間がすでに過去になり、未来を切り崩して生きている。いったい「今」って何秒なんだろう。 

 まあ、これについて答えを見つけたわけでもないし、作文を書いたのでもない。ただ、「今」ってどのくらいで、「今」はどんどん進んでいて、時間の不思議さをふと、か・ん・じ・てみて終わったのだが。
  
   ☆…☆…☆…☆…☆

 過去と未来の間は今。

 そこから考えて、相反するものには必ず、間があると仮定してみる。

 とあるブログに「虚偽と真実を分けるなんて、傲慢だ」と書いてあった。

 なるほどなと思う。私たちはつい物事を単純に、「それは本当か嘘か」に分けたがる。子どもにも、「それは本当なの?」とか聞いてしまう。「嘘ついたでしょ?」とか問い詰めてしまう。もちろん質さなければいけない嘘もあるが。

 そこで、嘘と本当の間にも、間があるとする。

 では、嘘と本当の間って、何だろうな?日本でいう「曖昧なグレーゾーン」かな。政治家が何かの汚職で、限りなく黒に近い白っていうことがあるけど、そう使うと悪い意味に取られやすいけど、きっといい意味でもグレーソーンが存在し、それは当たり前なことなのだ。

  ☆・・・☆…☆…☆…☆

 「新松戸ドットコム街の掲示板」というのがある。正式名は何でしたか?(失念しました)
 そこに右翼と左翼について書かれていた。「だれだれは、左翼に見えて、体制(右翼)だ」とか。そんなような記事だった。(曖昧でごめん)。あと「松戸の役人は、裏で左翼とつながっている」とか。

 でもそこで、「間の理論」(今、名付けてみました)で考えてみると、そんなの当たり前なのよ。

 思想的な意味での左翼、右翼というのは、飛行機の羽からつけられた名前だと、何かで読んだ。飛行機の左翼も右翼も、真中の胴体部分で繋がっている。繋がっているんだよ、どう見ても。今さらいう必要もなく。

 そして片一方がなくなれば、飛行機は墜落する。両方必要なのだ。舵を取るにも、両者のバランスが大事なのだ。

 反対の概念であるものは、必ず「あいだ」があり、そこで繋がっている。一本の境界線できっぱり分かれてはいないのだ。

 あらゆる「あいだ」は、どんな状態なんだろう

 曖昧だったり、混沌としていたり、見方によっては、右に見えたり、左に見えたり・・・白黒はっきりせい!と言いたくなるかもしれない。とくに人間は、正体の分からないものは、「コワイ」から、はっきり色分けしたい、という気持ちも分かるけど。
  
 でもきっと、穏やかで緩やかでおうようで認め合ってつながりあって、でもひとりひとり「わたし」を主語に存在しているような、そんなぐちゃぐちゃでやさしい空間だったらいいな。
 

それにしても「あいだ」の存在を、私たちはふだん、忘れがちだ

 それは分かりやすいほうが、楽だからだ。レッテルやカテゴリに入れてしまったほうが、楽だからだ。それようの対処をすればいいからだ。

 しかし、これからは「あいだ」の時代だと思う。

 この「あいだ」を理解したり、存在を感じられない人は、はっきり言って時代についていけない。流行とかそういうことでなく、時代を見間違う。間違った方向に行くよ。

 そこで恐怖なく存在を保つには、「自分」と「他」との境界線をくっきりさせておくことじゃないかな

 これは私が肌で、五感で感じとり、直感で感じ取り、第六感でもそう思っているから、たぶん間違ってないと思う。
いつも「直感とひらめき」で生きている肉体はですからね。えへ。
 
 「アイツは右だ、左だ」といっても意味がない。そんな暇があったら、「繋がっている間の状態」を見たほうが、未来が見える」というのが、本日の結論かなぁ

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2004.10.10

★公立高校受験作文「好きな時間」

■公立高校受験作文(200字程度)

【課題】私の好きな時間、好きな場所のいずれかをテーマに○○字で書きなさい。


 ★以下の作文は、教室で400字で書いたもの。実際の入試問題の解答例ではありません
それは後日もう一度紹介します。


 僕は夜という時間に外にいることが好きだ。

 別に夜遊びしたいわけでもないし、しているわけでもない。むしろ静かな夜の方がいい。最近はもっと好きになった。秋になってちょっと涼しくなったからだ。

 普通なら寒い夜は嫌なんだけど、そういうときに外に出て寒い空気に触れながらあったかいお茶なんか飲んじゃうと、もう幸せで幸せで「もうお茶があったかいと感じる季節なんだなぁ」とかじじくさい気分になる。

 でもその瞬間が幸せだなぁと感じてしまう。人がいないから好きなんだけど、人がいない時間に外に行こうとすると、(母に)すごい反対されてしまう。それを押し切って外に行くと何故か余計に気分がいい。

 その時気づいたことだが、夜の肌寒い空気の中に自分だけがいると感じた時に、ストレスとかがちょっと消えていく気がする。

 最近その感じが強くなった気がする。なぜだろう。(中2・シン)

   ☆…☆…☆…☆…☆

 彼の感性(ああ、これは曖昧だ)、もっと言うと
彼のものの見方、研ぎ澄まされた五感の感覚、このときの感情、言葉を、まずはか・ん・じ・てみて下さいね

 素敵でしょ?

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2004.10.08

★受験作文のカテゴリ

 私立はもちろんのこと、公立の高校入試で作文が出されるようになって、久しい。

 作文といっても、国語の中に100字とか200字程度の作文が課されるのが、全国的に多いのではないだろうか。
求められているのは高度な内容ではない。課題に沿って、分かる日本語で普通に書かれていればよい、という程度だ。
 
ただ、そうしたことに今の子どもたちは慣れていない。答えが一つの問題を、システマテイックに答えていくことには、慣れているが。

 もちろんぶんぶんに何年も通って、ぶんぶんをとても楽しんで、すなわち考えることの楽しさを知ってしまった者は、受験で出る程度の課題については、ほぼ100パーセント正解に近いものが書けるという、感触を持っている

 そこで公立入試に過去に出た課題を例にとり、教室で書いた作文などを紹介し、入試作文について考えていきたいと思う。

 これまで紹介してきたものも、今後「受験作文」というカテゴリに、徐々にまとめていく予定だ。まとめて読んでいただけるように、整理していこうと思う。 

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2004.10.07

★ざんげの部屋

こんばんは\(⌒O⌒)/ 最近他のことにうつつを抜かし、サボってましたーーさてと、何書こうかな??そうそう、先日、掲示板「しゃべり場」を作りましたが、今度から「ざんげの部屋」という名前に、変更しました。それは中学生との、こんな熱い議論を重ねた結果ですよ。

   …☆…☆…☆・・・☆…☆・・

しんや「しゃべり場って、なんかねぇ」

ぶんぶん「じゃ、何がいいかな?」

し「迷える子羊の相談所

ぶ「なかなかいいね」

し「でも、子羊というのがなんか、不気味」

さら「シンヤ、自分で言っておいて、何だよー」

ぶ「こぶたは、どう? 悩めるこぶたの相談所。キミたちコブタじゃん

みんな「・・・・・・」

さ「日替わりとか、週替わりでね、私達が交代で相談に答えるの、どう?」

みんな「いいねーー」

ぶ「ざんげの部屋! どう? 相談所とどっちがいいかな?」

 ということで,この日は決まらなかった。

 後日シンヤとの二人の密談にて、「ざんげの部屋」(ひらがな書き)に、決定しました。その件(くだり)は、「ざんげの部屋」にのってます。みなさま、左下をクリックしてくださいねーー

★★今週のざんげの部屋のお題・・・大人の相談に子どもが答えます!!★★

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2004.10.03

★PTA会長の罪を・・・その4

 9月30日(木)、松戸の裁判所にて、元PTA会長の裁判が結審した。私は友人と傍聴に行った。

 「懲役1年、執行猶予3年」の判決が言い渡された。
 
 裁判長が読み上げた主文のメモを頼りに、聞き取れた部分をここに紹介したい。多少のことばの違いがあるのは、お許しいただきたい。

 「被告人は、PTA会合の際、窃盗2件をはたらいた。十分が収入があるにも関わらず、家計管理の甘さから・・・情状酌量の余地なし。

 ・・・会合では参加者が歓談に夢中になっている時に、・・・現金を抜き取るという大胆な犯行。・・・他6件の余罪を認めている。

 PTAの会長、副会長として、模範となるべき立場が、そのPTAの席で、行ったことは軽視できない。・・・平成13年、平成16年の窃盗・・・

 窃盗前歴2件。前科なし。本人は反省している。お金を返す意志もある等から、懲役1年、執行猶予3年の判決を言い渡す」

 こんな感じでした。

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 今後PTAをどうしたらいいのか、私の考えは前にも書いたが、まず一つは、遡って会計(帳簿では分からない)について、当時関わった方々から、聞き取り調査をするのが、いいと思う。陰で無念な思いの方もいらっしゃる。

 小さい額でも、バザーのお金がなくなったりした事実を、会員は知らされてない事実があるのだし(判決の中の窃盗2件とは別件です)、私たちは会費を払っているのだから、明朗な会計を知る権利も、自由もあるはずだ。

 しかしその前にもっと大事なのは、私たちPTA一人ひとりが、このことをどう捉えるかだ

   ☆…☆…☆…☆

 臨時総会で、とても具体的な意見をおっしゃっていた方に偶然、裁判の帰りに会った。総会で発言されただけでも、とても立派だし、勇気のある方だと思う。彼女は言った。

 「もう、忘れましょう」
 
 私は何だか戸惑った。何と答えていいか分からなかった。でも、一つ分かるのは、私たちの「親力」が問われているということ。それは親の「民度」と言い換えてもいいのだろうか。

 ☆…☆…☆…☆…☆


 会長などの役員を選ぶ仕組みとして、「推薦委員」というのがある。これも現在、透明性のないものの一つだ。臨時総会であるお母さんから、指摘があった。

 「無関心」を装っていても、今回のような人物を、会長に選んでしまったのは、紛れもない私たち会員一人ひとりである。その何百分の一の責任は、小さいようだが、とても重い。

 その重みをどれだけか・ん・じ・ら・れ・る・か
  
 感性の問題でもある

 そしてそれは、今を共に生き、未来を生きる子どもたちに、確実に伝染してゆくものであることを、子どもに寄り添うものの一人として、私は言いたい。

 「事件のことはこのまま伏せて、何事もなかったように、PTA活動を一生懸命続けていくことが、子どもたちのためである」という考え方がある。

 総会でも力説していた方がいた。学校側の考えもそんな感じだ。
 
 しかしそれが本当に、子どもたちのためであろうか。本当にそんなことを、教育者としての校長、教頭、先生たちは、信じているのだろうか。

 「事件のことを子どもに伝えるかどうか」よりも、今重要なのは、悪いことは悪いと「かんじるちから」を、子どもたちに、どう伝えていくかの方が、重要だ。事件を、そうした「素敵な教育の場」にだって、いくらでもできる。

 そのためにもいま、「親力」が試されている気がしてならない。
 「親力」とは、親の「かんじるちから」、感性であると、はっきり言おう。

 少なくとも私は、鈍い親になりたくなし、我が子を「悪を見抜く感性」の、鈍いひとにしたくないだけだ。


 学校側の論理を押し付けられる「総会」でなく、まずは、親が自由に話し合える場が、ほしい。 

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2004.10.02

★掲示板作っちゃった\(⌒O⌒)/

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 №1の記事に、使い方をかいておいたよーー
 
(そのせいか、みーやさんのコメントが消えてます。実はコメントはあるんだけど、左サイドに表示が出ないの。もうひとつ不思議なことに、コメントを通知するメールが、私のところに届くんだけど、それも来ないの。おーーい!どこへ消えたんだぁぁぁ)

 

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