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2004.09.13

★「オマエはもう、ハダカである」

 ああ、そうか! やっと分かったぞ。「はだかの王様」の意味が。さすが、世界に広げよう「はだかの輪」ネットワークの表番だね。

 ひゃくたon夕刊フジにハダカのスクープ!か?・・・のコメントより以下、引用。

「はだかの王様」は、着ているつもりでハダカだった。 「ハダカの達人」はハダカに見えるけど、さりげなく装っているの。 こうなると、「道」。「ハダカ道」。

 つまり王様は、立派な洋服をきていたの。洋服とは、その国の秩序とか、常識とか、地位とか、名誉とか、お金とか、前例主義とか、主義主張とか、そういったもの。それを身にまとっていたの。だけど、そういうものは「幻想」だったんだよ。すべてまぼろし。

 国中の人々は、そういうものがあると信じていたかった。その方が、ラクだから。自分の眼を開いて真実を見る勇気もない。しんどい。なぜなら、いちいち自分で見て、感じて、考えなくちゃならないから。失敗したら自分のせいだから。人のせいにはできないから。
 
 私たちは、本来あるはずのない「幻想」を作り出し、そんなものに惑わされてしまうんだね。こんなこと、哲学の世界でなくても、自明のことなんだろうけど。凡人には、ハダカの王様のほうが、分かりやすいよなぁ。

 柳の枝を、幽霊だと思って恐がるのに似ているね。

 つまり私たちはみんな、ハダカなんだね。ハダカなんだ。脱ぐ必要ないんだ。生まれながらにハダカ。だけど、洋服を着ていると、信じている。皆で信じるからそれは、在ることになる。幻想が必要な時代もあろう。でもいま「幻想」がこの世を、かえって生きにくくさせている

 「はだかの王様」はつまり、幻想を捨て、ハダカであることを知れ。と言っているのではないだろうか。
 とすると、世界に広げよう「はだかの輪」ネットワークの目的は、「オマエはもう、ハダカである」って、ケンシローのように言えばいいんだ。ほら「オマエはもう、死んでいる」って、流行ったじゃん?

 村上龍の「幻想のファシズム」っとかいう本、あったよねぇ。 
 

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コメント

この世はすべて幻である。
人生は喜劇だ。
たちの悪い喜劇だ。
しからば、思う存分幻の喜劇を楽しむだけ。

 あちらの世界が本当の世界。
 この世で何を知ったか、何に気づいたか、
 肉体が滅びたとき、
 輪廻転生せずに真実の世界であるあちら側の世界へ、
 逝くことができる。

何故こちら側は真実ではないのでしょうか。
あまりにも、不条理や矛盾が多すぎるから・・・

あちら側の世界はいたってシンプルだ。
主観と客観。
時間。
空間。
生と死。
男と女。
物質。
すべて一切ない世界だ。
 
”愛と幻想のファシズム”は面白かったなぁ。

投稿: mossarin | 2004.12.05 09:37

mossarinさん。
以前のトラバさせていただいた記事に、コメントいただきありがとうございます。

幻想を着込んでしまっているなぁと、このとき思ったんですね。
きっと私は。それが必要でもあるけど、だんだん幻想の方が
当たり前のように闊歩してしまっている。
幻想が真実であるかのような顔をして。
だからときどきシンプルなところに戻らないと分からなくなるのです。

投稿: ぶんぶん | 2004.12.10 19:01

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