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2004.06.27

★言語技術と自己表現の「間」は、男と女の「間」に似ているかも?

 表現手法(スタイル)を教えることは容易い。それは技術的なものだから。・・・これは友人であり芸術家の岩崎さんのブログで見つけてきた。これを、作文教育風に直すと、「言語技術を教えることは、容易い」となる。ちょっと、ハッとした。なぜなら、私は最近、「言語技術」という極に、大きく揺さぶられていたからだ。お陰で少し、「自己表現」という極に戻る勇気が出た。わーい。

 「つくば言語技術研究所」というところがある。
http://members.jcom.home.ne.jp/lait/

 (お、またつくば?最近縁がありますなぁ)。三森ゆりかさんという方が代表を務めている。彼女はドイツの言語技術教育を下敷きに、日本向けの言語技術教育を確立した方、といえばいいのだろうか。私のような「井の中の蛙」にはやはり気づかない内容だ。盲点をつかれた。三森さんはつくばでは、言語技術教室を持っていて、本もたくさん出されているので、私もいつも、授業で参考にさせていただいている。その具体的な内容については、また別の記事で紹介したい。

 三森さんが発言されているように、ドイツに限らず海外では、小学校から高校あたりまで、一環とした「言語技術教育」というものがあり、先進国でそれがなされていないのは、どうやら日本だけらしい。だから今、言語技術教育が必要なのは、当たり前と思った方がいい。みなさん、感じている方も多い。従来の日本の「国語」教育は、一部でいいから、すぐにでも方向転換すべきと思う。文科省も教科書を作る方も、当然気づいていると思うが、なかなか変えられないしがらみもあるのかな?

 なのでここはしばらく、作家の井上ひさしさんも書いているように、民間が頑張らねばならない(「井上ひさしの作文教室」参照)。

 岩崎さんの美術教育の話に戻る。確かに美術は専門的なものだ。しかしそこにおいては、技術や手法を教えることは、もう既に確立されている分野であるようだ。その上で「手法を教えることは簡単だ」と言い切り、その奥にある、「表現」ということを問うている。

 国語においても、本来全く同じであるはずだ。技術は教えるのが容易い。大切なのはその先だ。そこをどう伝えるのか。または、子どもから引き出すのか。しかし、美術の世界と大きく違うのは、ベースであるはずの「言語技術教育」が、日本において全くと言っていいほど、欠落しているという事実である。愕然とする。じゃ、自己表現はできてきたのか?と問うと、これもまた妙に文学的なエリアばかりに偏っていたと思う、がこれはさておき。 

 だから今、言語技術なのだ。間違いなく。だけど、それはあくまで技術だということも一方で忘れてはならない。技術は何かの目的のためにある。ここでは「自己表現」とか「コミュニケーション」とか「思考」とか、そういった目的のためにあるのだ。だから私は教室において、「言語における自己表現」ということを、これまで以上に大切にしたいと思う。大切にしつつ、技術もやっていきたい。欲張り!?うふっ。でも、三森さんのすごいところは、「個人的なことは作文に書かせない」というところだ。理由はそんなこと「評価できないから」だ。とても誠実な姿勢だと思う。

 ついでに言えば、「国語」の技術は専門分野でも何でもなくて、一般に誰でも身に付けるとお得な技術だ。何もここで、作家を生み出そうという話ではない。人はみな、コトバにおける表現者であり、生きるということは「人生の表現者」に他ならない。

★追記★ 冒頭の文章の続き・・・

表現手法(スタイル)を教えることは容易い。それは技術的なものだから
しかし表現者にとって一番大切なことは
「社会に対してなにを問いかけるか?」
「その問いかけを如何に自分の中で醗酵させられるのか?」
「そして問いかけに対する反応をどうやって受け止めるのか?」
という点だと思う。

 もう一つ、岩崎さんのブログの「教育」の記事にも、同じことが。↓
http://hideta.seesaa.net/

 ★三森ゆりか著、オススメの本。言語技術研究所のホムぺにもあります。

「論理的に考える力を引き出す」親子でできるコミュニケーション・スキルのトレーニング (一声社)
「イラスト版 ロジカル・コミュニケーション」 (合同出版)

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コメント

ぶんぶんさんこんにちは。読み直してみると、我ながら偉そうなことを書いてますね。でも、教える側が夢を語れないと!!

うちの教室に通ってくる受験生たちは様々な情報の、受け手ではなく発信する側になろうとする人たちなので、表現ということに関して一歩踏み込んで考えてほしいと思っています。

公教育では出来ないところを、僕ら民間が補っていく。民間だからできることにこだわっていきたいですね。

投稿: 岩崎秀太 | 2004.06.28 13:33

ぶんぶんさん、こんにちわ、

(まだ、就業時間中だけど、コメントせずにいられません)

あの、そ、それで「男と女の間」はどこへ?「男と女の間」も「技術」なのでしょうか?その上で、「なにを伝えたいか?」が問題なのだと?

投稿: ひでき | 2004.06.28 16:50

 ひできさん。勤務中の熱いコメントありがとうございます。仕事サボって、いえ、会社役員のクビを賭けてまで、コメントに勤しむひできさんの姿勢に打たれ(仕方なく?)、これを書いている次第です。

 直接の答えになるかどうか。だって、ひできさんの質問については、まだ何も考えてないもん。

 「言語技術と自己表現の間は、男と女の間と似ているかも?」というタイトルを考えている時、ふと頭の中に、♪男と女の間には、深くて暗い川がある♪って、歌が聞こえてきたんです。それでつけちゃんたんです。それに、男女は片方では不完全、両方で一つの完全なものになる、とよく言われます。その辺りでつけてみた。深くなくてごめんなさい。_| ̄|○:

 その先は、、、うーん。男と女の間で自己表現するものといえば、それは「愛」に他ならない。伝えるにはそれなりの技術が必要でしょう。

 ちなみに、あるサイトにこんなことが。「アルス・アマトリア(愛の技術)」という本があるらしい。「2000年も前に書かれたものだが、今もなお有益な恋の手練手管を余すところなく網羅した、まさに恋愛の奥義書」なのだそうです。オウィディウス(前43~後18)という、古代ローマの詩人が書いたものだそうです。機会があったら読んでみたいものです。 

 ちっともお返事になっていなかったですね。はい。それで話は変わりますが、こんなサイトがありました。「体外離脱」について書いてあります。ほんとですか?私も座禅すれば体験できるかなぁ。ひできさん、座禅詳しいですよね。

http://sfmakoto.ld.infoseek.co.jp/d030110.html

  

投稿: ぶんぶん | 2004.06.29 00:14

ぶんぶんさん、こんにちわ、

へへ、ようやく就業時間外...どこにいるかとか、追求しないでくださいね。私の首がかかっているから...

そうそう、昔ちょっと読んだんですけど、中国の魂魄の神話というのがあるそうです。(以下、しばし丁寧語略。またあくまで神話ですから、フェミニズムに反するなんていわないでくださいね。)

男と女にはそれぞれ「魂」と「魄」がある。魂は空と結びついた要素で、魄は地に結びついた要素だという。そして、男には魂の要素が大きく、魄の要素が小さい。女は魄の要素が大きく、魂の要素が小さい。この結果、男は常に地に足がつかないままむやみに空へ飛び上がっていこうとする。そして、女は男を地に縛りつけておこうとする。でも、それぞれ男と女の、魄と魄、あるいは魂と魂は、それぞれ男と女の内部では、十全ではないので、十全な存在になろうと、相手の魂あるいは魄に惹かれあってしまう。この相克の中で、唯一本当の愛だけが、男の魂と女の魄を共鳴させ、女の魂と男の魄を慰めあうことができる。あるいは、魄と魄、魄と魂をつなぐものこそが真の愛なのだという。こうして、はじめて真の愛により男も女も自由な存在になるのだ。あるいは、相手を自由な存在にすることができる。

(うーん、多少私の頭の中でオリジナルと違ってきているかもしれません。)

18歳の時に読んで、非常に感動しました。ほんとうにおくてだったもので...ほんとうに、女の人のことをなにもしらなかったので。

それから、学生して、社会で働いて、結婚して、子供がうまれて、また学生して、また働いて、子供が何人か生まれて、いま、この話しをひさびさに自分で語りなおしてみて、結構自分にあてはまるのかもしれないと感じております。

そうそう、座禅はそんな「体外離脱」とかミスティークなものではないですよ。どちらかというと、ひたすら現実にひたるというか、目を自分の生きている今にくっつけちゃうとか、そんな感じです。

そして、座禅をまっとうするにも、魂魄の話しのような意味で、男と女の間に働く力が大事なのだと最近感じました。

あ、そういえば、某所で↓こんな会話をしておりますが、ご興味おありですか?

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/06/post_15.html

投稿: ひでき | 2004.06.29 17:27

 ↑難しいことが書いてありますね。というか本をまず読んでみないと。。。ただ、「死」についてはいろいろ考えるところあり。私の場合は常に、子どもとの間でウロウロするだけですが。ちょっと方向違うかもしれませんが、次にブログで「死」について書こうかなと思案中です。上手くいったらですが。あーもう7月か。 

投稿: ぶんぶん | 2004.07.02 00:14

今日、母校のOB会から会報が送られてきました。麗澤中学・高校では、このブログでも紹介されている「つくば言語技術教育研究所」の協力(?)で「言語技術」という教科を教育の柱の1つにしているそうです。
http://www.hs.reitaku-u.ac.jp/kyouiku/index.htm

投稿: イワサキ | 2005.02.22 18:04

イワサキ師匠。

友人のお子さんが、麗澤の中学にいっています。
その方から聞いていましたよ^^
この研究所の協力で、こちらのカリキュラムにのっとって、授業をされているようですね。
さすが!こちらの研究所本も参考にさせてもらってますが、技術を独自のカリキュラムにして
教えているところですね。

あらためて、岩崎さんの古いコメントを読み、
なるほどと大切なことを思い出しました。
技術も大事。だけど何を表現するか。何を感じているか。それがないと本当の言葉は獲得できないと思っています。

投稿: ぶんぶん | 2005.03.03 12:52

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