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2004.06.18

★子どもに感動的な作文を期待するのは、もうやめよう!

 「娘が学校で書いてきた作文を、見て欲しいんです」。教室の子どものお母さんから、電話があった。題名は「プールに行ったこと」。読んでみると、プールに行って帰ってくるまでのことを、スケジュールメモのように書いているのだが、肝心のプールで泳いだことについては、ほんの2行しか書かれていない。教室ではこういう作文を「スケジュール作文」と呼んでいる。小学生にはよーくありがちな作文だ。「読んでも面白くないんです。もう少しなんとかならないかと、、、」とお母さん。

 かなり思い切ったことを言います。無理です!これ以上は書けません!お母さんとしては、プールで泳いだ様子を生き生きと書いて欲しいと思うのは、よーくわかります。でも、無理なんです。今すぐは。

 理由その1。作家の井上ひさしも言っている。 
 
 『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』(新潮文庫)の164ぺージを開いてみる。・・・「遠足に行きました。楽しかった」。大人にしてもプロの物書きにしても、これしか書けない。プロでも書けないことを、小・中学生に要求している国語教育が間違いだ。・・・要約すると、こんな風に書いてある。

 「丸谷才一さんの言葉を借りますと、日本の国語教育は、全生徒をすべて小説家か詩人にするつもりでいると。これが日本の国語教育の根本的な欠陥です」(同ページから引用)とある。

 同感です。教室を9年ほど続けてきて、私もやっと悟りの境地にたどり着いた。なーんていうのは大袈裟だが、私もすごく苦しかった。何年も教室の通ってくれている子どもで、ちっとも上手くならない子がいる。私の教え方がいけないのだから、何とかしなくてはと。確かに、クラスで一人二人、上手い子がいる。でもそれは才能なのだ。教えたから上手くなったのではない。絵が上手な子がそうであるように。

 最近ようやく分かった。そもそも「上手く」と、大人が勝手に思い描いている「像」が、違うのだ。大人が思い描く「上手い作文」とは、まさに遠足や運動会などのできごとを、場面描写して生き生きと書き、読んだものに感動を与えるような作文だろう。しかし、書けないのが当たり前と、まず心得なければいけない。

 あるいは、読書感想文。あらすじだけ書いて最後に「面白かったです」としか書けない。もっと、感想や意見を書きなさい。思ったとおり書きなさい。と大人は言う。しかし、書けない。だが、期待するほうが無理で、書けないのが当たり前なのだ。それをやらせようというのだから、みーんな作文も本も大嫌いになる。

 じゃ、どうしたらいいの?って。まず、あきらめましょう。そこからです。(次の記事へ続くよ、きっと)

 ★Sちゃんのお母さんへ。もしこれを読まれていたら、Sちゃんは、小2という年齢から見ても、とても論理的で、文章が上手だということを、分かってください。だって、どこを読んでも訳のわからない部分、ないでしょう?そして、感動的な文章をいますぐ要求することが、間違いだってことと、それは日本の国語教育全体を変えていかなければならない問題だということを、ご理解ください。
 それから、あの作文はきっと、学校の先生が「会話」の書き方を、指導したかったのではないですか?

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