★音からコトバ、そして音へ、生身のカラダへ

もう何度もCDを聞き、何度も歌ったんだよ。♪掌に刻まれた歪な曲線ーって、ミスチルの「掌」を。
な・の・に!「ああ、これって手のシワのことかぁ」って今ごろになって納得しているのん気なウチの娘。「お母さん、今分かったよ。何か急に分かった」。読解力がないかどうかは別にして。。。
「なるほど」と思った。人が詩やコトバの意味を理解するってこういうことか。何度も何度も声に出して歌って、何度も耳で聞いて、最初は意味なんか考えないで、ただひたすら音を丸ごとカラダに受け入れて、染み込ませて。そのうちふっと何かが降りてくるように、意味が閃く。もちろん本人が成長したというのもあるだろうね。だけどそのタイミングがふとやってくる。
だから詩の暗唱とか、文章を声に出して読むとかって意味があるんだ。こんな当たり前のことに今気づかされた。国語の音読にも意味があったんだ。でも当たり前を疑うこともときに大事だよね。そこでもう一度、コトバを声にすることで何がわかるんだろう。
それは覚えるのが目的でなくて、「わかる」ために。だけどコトバの意味をわかるだけじゃない。コトバの後ろには必ず「ひと」がいる。きっとその「ひと」をわかるために。難しい表現も美しい表現もたくさん知らなきゃいけないのは、「ひと」をよりよくわかるため。
そんな時、歌はずるいと思う。だってふと聞いてしまうし口ずさんでしまうから。私が教室で下手なお話ししてても、子どもは鼻くそほじってる。私がまだブラックホールに落ちてた頃、新宿の路上でそよぎちゃんに出会った。The sad sad planetという人たちだ。ふと通りかかってその歌声にひかれた。何かが伝わってくる。何だろう。歌詞じゃない。生身のカラダから出る音でしか伝わらない「なにか」。
「情熱」だという人がいた。よく行く美容院の美容師さん。そう言われればそうだと思う。でも、何か違う。そんな簡単にまとめないでほしい。悩んでんだからさ。あ、芸術家岩崎氏の言う「快感物質」。このコトバ大好きで最近よく使うんだけど、でも今回だけは使いたくないな。私はそれを知りたくて、ときどきそよぎちゃんに会いにいく。。。
★the sad sad planet (毎週末、新宿駅東南口のストリートで会える。ホムペでは曲も聴けるけど、でも生がいい!)
http://www.infinite-record.com/sad/
(サップラって何だろうってずっと思ってて、「あ、サッド・サッド・プラネットのことかぁ」と、今日気づいた私である。娘に聞いたらとっくに分かってた。娘を笑えない。上の写真はそよぎちゃんのサインだよー)
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