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2004.05.17

★サナギのように私を縛って

 【改訂版】新松戸の和民で飲んでいたとき、芸術家岩崎氏が「座禅を組むと、幽体離脱みたいなことが起きて、自分を客観視できるんだよ」などと教えてくれた。つまり座禅という形で身体を拘束すると、魂が身体から抜けるというようなことかな・・・
 ふと、知人の書いたある小説が甦った。村本健太郎が書いた『サナギのように私を縛って』。もう十年以上も昔の話だが、あの頃私は彼の小説をどきどきしながら読んだことを思い出した。今私の目の前に、既に廃刊となった「海燕」1992年11月号がある。第十一回「海燕」新人文学賞受賞。久しぶりにぺらぺらめくった私は、でもすぐに記憶にあった一行をみつけた。

 「自分がなめらかな存在になりうすく広く草原いっぱいに拡大して」

 ここだ! ナナコがフジムラに、足首から肩口まで全身サナギのように縛られ、目隠しさるぐつわされ、耳と鼻にも詰め物をされたときの意識の、ほんの一端。
 
 「身体が縛られると、意識って身体の外に拡大していくのだな」とぼんやりと、しかし今になってみると確実に私の脳裏に染み付いていたんだナと思った。「縛る」のも「座禅」も同じ? 私は確信を得たくて、もう一度気になる一行の周辺を読んでみると「宇宙から地球を眺めている視点」 というフレーズを見つけた。座禅は幽体離脱して自分を見れる。「サナギ」はイキナリ視点が宇宙まで飛んで行っちゃうんだ。でもやっぱり同じだ!

 身体への「縛り」は、魂なり精神が身体から外へ出て自由になろうという意志やパワーをもたらす。そして外に出た魂なり精神は、自分を客観的に見ることができる。「縛り」は苦痛を伴うが、快楽でもある。誰でも「自分は何者か」が分からなくてもがいているからだ。「自己を知る」という快楽や「精神の自由」という快楽を得たければ、「縛り」の苦痛から逃げてはいけない! っていうか魂が自由に飛ぶのって、きっとスプラッシュマウンテンに乗ったみたいに気持ちよさそうじゃない?

 「生徒にはガチガチのスタンダードを教えるべき。そこから反発力が育つ、、、」と岩崎氏。
 「ダメなものはダメって言えない親って一体なんだろう。縛りがなければ子どもは自立もできない」と百田氏。
  
 って話しにつなげるのは、ちょっと無理? いや、大人は子どもをもっとギュッと縛れって!「自由な精神」の持ち主にしたいのなら。蛇足ながら、縛られ残された部分の感性は研ぎ澄まされるってことも付け加えておく。

 

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